武藤敬司
武藤がハゲるのがあと10年遅かったら、プロレス史は大きく変わっていた
〜 武藤敬司 について、哲学者ブレーズ・パスカル
武藤 敬司(むとう けいじ)は、日本のプロレスラー。新日本プロレスでデビューして活躍。その後、全日本プロレスに移籍し、2005年からは同団体の社長、2013年にWRESTLE-1を旗揚げしその社長を務める。ファンからは「天才」と呼ばれる。進行するハゲと長年に渡って苦闘し、これを克服した。
天才の天才たる所以編集
武藤は何ゆえ「天才」と呼ばれるのか。あるプロレスファンの会話を抜粋する。
- 男A「中田英寿って天才と呼ばれてるじゃん。それは抜群のボディバランスや広い視野、鋭いキラーパスとして説明されてるよね。」
- 男B「ああ」
- 男A「松坂大輔も天才と呼ばれてるじゃん。それは肘の使い方、剛速球やジャイロボールとして説明されてるよね。」
- 男B「ああ」
- 男A「じゃあ、武藤はなんで天才なの? そもそも八百長のプロレスの技術において、何がどう天才なの?」
- 男Bは沈黙の後、こう答えた。
- 男B「動きが天才なんだよ。」
- 男Aに言葉は無かった・・・。
引用した会話に示されるように、武藤は動きが天才である。その天才ぶりを文章で説明するのは難しいが、やたら爽快感のある動きをする。「プロレス界のチャップリン」と言っても大袈裟ではない。
来歴編集
順風満帆期編集
新日本プロレス入門編集
武藤は幼い頃より運動神経抜群で馴らし、1984年に新日本プロレスに入門した。入門時の体力テストはもとより、プロレスラーとしての資質を問う演劇テストの成績も抜群であったとされる。
アメリカ遠征編集
抜群の運動神経とルックスは、プロレス界にとって申し分のない逸材であった。早くも将来のエース候補に内定し、1984年にはアメリカ武者修行に出され、翌年、凱旋すると「スペースローンウルフ」として売り出した。将来に向けて順風満帆の時期である。1989年には再びアメリカ遠征を行い、グレート・ムタとして東洋の妖しさを前面に出して大活躍した。
この頃より後頭部の髪の毛の薄さにファンが気付き始める。
凱旋帰国編集
凱旋した武藤は期待の若手「闘魂三銃士」の一人として活躍する。ショッキングオレンジのリングタイツのこのナイスガイに、ファンは熱狂。カッコイイ武藤の全盛期である。
しかし、この頃より頭頂部の脱毛が進行していくことになる。
ハゲとの苦闘期編集
nWo入り編集
1997年、nWoに加入してヒール(悪役)となる。団体サイドは武藤をカッコいいヒールとして売り出す算段だった。・・・が、その算段はもろくも崩れる。
頭頂部の薄さが遂に落武者の領域に入ったのだ
入場時はボリュームを付けてセットしている頭髪であるが、試合が進むにつれ頭髪は汗でまとまって倒れてゆき、頭皮が現れて見るに耐えなくなってくる。凄惨な流血でリング上から目を背けるファンの隣で、凄惨な武藤の頭髪から目を背けるファンも多かった。
武藤の答え、スキンヘッド編集
「甘いマスク、薄い頭髪」、この見るに耐えないギャップに苦悩するジリ貧状態の武藤が出した答えはスキンヘッド+ヒゲであった。「スキンヘッドであればカッコよさはフサフサ時の30%であるが、それ以下にはならないどころか、ひげを生やせばゴールドバーグやスティーヴ・オースティンのような凄みも出るかもしれない。落ち武者スタイルを続けていれば10%どころか、下手すりゃマイナスにもなってしまう。」と考えたのだ。
この決断は成功し、下落を続けていた武藤のカッコ良さは底打ちし、以降はスキンヘッドが定着したことで徐々に上げ戻してくる。
全日本プロレス移籍後編集
社長就任編集
全日本プロレスに、小島聡とケンドー・カシンと共に電撃移籍すると、ジャイアント馬場の未亡人である馬場元子に気に入られ、やがて社長に就任する。
心機一転、久々にグレート・ムタに変身しようと目するが、以前の様にフェイスペイントしようとすると既に顔と頭の境界線が存在しないため、頭を丸ごと塗らなければならなくなる。そこで、新崎人生のWWE時代のキャラである「白使」に似た「黒師無双」という新キャラを生んだが、流石にムタのキャラとは異なるため今一つ話題性に欠けた。何とかムタを復活させなければと思考錯誤した末、マスクを被るという新方式を編み出し、結果、メカメカしかったりモンスターぽかったりとバリエーションが生まれて高評価となった。
社長としての方針編集
武藤社長の方針は「何でもウェルカムだよ」というもので、WWEを解雇された選手や、長州力と断絶した佐々木健介などを次々とリングへ上げた。ただし、大仁田厚のようにパフォーマンスは上手いがプロレスの技術はゲロ以下のような選手や、総合系の戦いしか出来ないような見せる技を持たないブラックホール並みに光らない選手は絶対に上げなかった。
ただし、軽々しく受け入れる分、追い出す時も軽々しく、参戦していたマイケル・ウォール・ストリートに対し、電話では無く電子メール一本で解雇を伝えるという、まるで、辞職願を会社へメールで送りつけるゆとりの先を行くような行為を行いマイケルを激怒させた。更にVOODOO-MURDERSが控室で暴力事件を起こした際、社長として早急に謝罪会見を行わなかった武藤を非難した和田京平を患わしく感じて解雇する始末であった。
しかしその因果応報であろうか、全日はスピードパートナーズに買収され、武藤も退社を余儀なくされた。その御蔭で、和田京平は会社への復帰を果たし、スピードパートナーズはその役割を終えたとばかりに倒産、全日は秋山準を社長とした体制へと移行した。
WRESTLE-1旗揚げ編集
武藤は、半分以上の所属選手を引き攣れて退社し、WRESTLE-1を旗揚げした。ここでも軽々しく受け入れ、秋山体制となった全日や、もはや倒産寸前と目されるアメリカの団体TNAの選手をリングへ上げている。
社長退陣、海外へ編集
盟友スティングがWWEに上がったのに触発されたか、2017年初頭、「オレだけが持っているパスポートがあるような気がして、オレ個人は外を向いて行こうかなと思っています。日本だけではなくてね」と述べ、社長業をカズ・ハヤシに譲って会長に就任、海外へ出て行こうとした――が、WWEには武藤が怒らせてしまったマイケル・ウォール・ストリート(マイク・ロトンド)がプロデューサーとして勤務しており話にならず、また提携先だったTNAは買収され経営者が変わったことで提携解消となり、残るROHは新日と提携しているため結局ずっと日本にいる。
得意技編集
- シャイニングウィザード
- 武藤がハマっているロールプレイングゲーム、中世の魔道士の物語。初代作はセガサターンで発売され、その後Xboxにプラットフォームを移して四作発売されている。
- というのは嘘で、相手の片足を蹴って駆け上がり、相手の頭部に蹴りを入れる技。試合の終盤に自然に足を差し出す相手との「かけてください」「さあ行きますよ」の阿吽の呼吸が重要である。
- ドラゴンバスター
- ドラゴンスクリュー、ドラゴンスリーパー、ドラゴンスープレックスに次いで、藤波辰巳より受け継いだ技。
- というのは嘘で、ナムコから1985年に発売されたアクションゲーム。
- フランケンシュタイナー
- フランケンシュタイン博士が開発する怪物の女性版で、写真の体をアイコラみたいにいい所だけつぎはぎを貼り合わせてヨダレを食うピンナップ。
- と言うのは嘘で、相手がパワーボムや持ち上げる際に、武藤が足で相手の首を挟みひっくり返してフォールするカウンター投げ。ウラカン・ラナとちょっと違う。本人いわく、自分も女性から股間で顔を押しつけられながらフランケンシュタイナーを喰らいたいらしい。
- ラウンディングボディプレス
- ムーンサルトプレスであるが、武藤の場合は飛距離が凄いため、あえて別名で表記する。別名で呼ばれることが多いのは古館伊知郎の後任になった辻よしなりが当初ムーンサルトプレスをラウンディングボディプレスと勘違いしていた為(両技は厳密には違う)。ベテランになってからは脚の故障や体力の低下で飛距離は出なくなったが、全盛期は反対側のコーナーポストを飛び越えて客席に着弾することもザラ。
- 足四の字固め
- 足を数字の4に見立てて固める関節技。本来はただの序中盤戦の繋ぎ技で、試合終盤に出せば会場が盛り下がってしまうところであるが、武藤は足四の字中に上半身で魅せる天才的な動きで会場を盛り上げることを可能とする。
- フラッシングエルボー
- 仰向けになった相手に繰り出すエルボードロップ。別名:ジタバタエルボー。効果は普通のエルボードロップと変わらず、しかしWWEのザ・ロックがそれを真似した「ピープルズエルボー」が、真似しきれずに「かいかいエルボー」と呼ばれるくらいなので、完コピするのは相当に難しい。
- スペースローリングエルボー
- コーナーポストに相手を振り、側転してエルボーを決める技。走り込んでエルボーを決めた方が効くのではというのは禁句。
- フェイスクラッシャー
- 上記のスペースローリングエルボーの後に、相手の顔面をマットに打ち付けるこの技を繋げる。このコンボを決められればファイヤープロレスリング初段である。