柳沢敦
柳沢 敦(アツシ・Q・ヘナギサーワ、1977年5月27日 - 2006年6月18日)は、富山県出身の元クロアチア代表のサッカー選手である。ポジションはDF。サッカー後進国の日本では主にシュールな笑いの取れる天才肌のお笑い芸人として知られている。また、エクストリームスポーツ「全力を挙げて見逃す」のプレイヤーでもある。ちなみに彼の父親は富山市内でラーメン屋を経営している。
愛称はへなぎ、やなぎさわ、QBK(後述)。「ゴール前の大道芸人」「ゴール前のブラックホール」「哲人28号」「ある意味ゴルゴ13」「ジーコの恋人」「カルガモセイバー」「ちょっとアブないアウトサイダー」「冥王星から来た漢」等数々の異名を持つ。最近はお笑いの文化に乏しかった「京都の救世主」となりヤナガシワ化が起きていた。だが、その京都からポイされたので、来期はけさいで頑張るらしい。ヘタレと呼んではいけない。だってかわいそうじゃないか?
スーパーフリーのメンバー。
無敵の必殺技編集
- ヘナギサイクロン[1]
- ボールを真上に蹴り上げるウルトラC セネガル戦で見せた
- ヘナギスルー[2]
- 華麗にゴール前でボールを見送りフィールド外に瞬間移動 サウジ戦で見せた
- ヘナギトルネード
- ボールに回転を与えず自ら華麗にくるくる回って相手と審判を幻惑 アイスランド戦で見せた
- ヘナギエンジェルパス
- ゴールキーパーへの受け手に優しいパス オーストラリア戦で見せた 次のクロアチア戦でQBKに昇華する
- 宇宙開発ヘナギワールド[3]
- 無数のボールを遥か彼方に蹴飛ばす 「無駄無駄無駄無駄無駄ムダァァ」「ファールボールにご注意下さい」のアナウンス付き
- QBK[4]
- ゴールキーパーの股ヌキクリア 「芸術作品」「歴史に残るファンタジー」「伝説のアウトサイド」とも呼ばれる
- KNB
- 「キーパー抜いてバックパス」の略。へなぎの崇高なる犠牲精神を表す絶技とされる。
- YYY
- 「ユニフォーム破れてYellow Card」の略。Y3とも言う。ドイツワールドカップ前の壮行試合ドイツ戦で魅せた。へなぎの崇高なるお笑い精神を表す絶技とされる。
- ダイヤモンドダストQBK
- スタジアム全体の空気と仙台MF角田誠の顔面の筋肉を凍り付かせた超絶技。GKから奪ったボールをカーブを掛けて芸術的にクリアする[5]。試合中にもかかわらず(感動に打ち震えてプレー困難になった)角田から「柳沢を交代させろ」との絶賛の声が上がった[6]。
- GGH2
- がら空きのゴールなのだから利き脚である右足で蹴れば容易にゴールできたにもかかわらず、左足を選択し華麗にクリアする技である。GGH2とは「Garaaki no Goru ni Hidariashi de2(がら空きのゴールに左脚で2)」という音読みの略称である。
特にへなぎサイクロンは世界的に評価が高く[8]、また交代出場→八分後へなぎスルー→即座に交代退場の誰にもマネのしようがない三連続コンボはもはや神話の域にまで達している。
ときどき物理法則を華麗に超越するところから更に何らかのスタンド能力を持っていると噂されている。
宝具として周囲を洗脳する『エーテライト』、勝負所で必ずゴールを阻止する呪い『ザ・スパイクへなぎさわモデル』、三種の神器として『屁薙の件』『DFの鑑』『曲がったタマ』がある。
いきなり! 黄金の伝説編集
へなぎは史上最高のDFとして世界各国で揺るぎない評価を受けており、その伝説も枚挙に暇が無いが、ある高名な吟遊詩人が語り部としてそのサガを謳いあげているためにサッカーに興味の無い人間にも有名なものが多い。
伝説1編集
トルシエ・ジャパンでは「点を取ることはFWの仕事でない」と語り哲学史上にコペルニクス的転回をもたらしロシア革命に多少の影響を与える[9] 。
伝説2編集
日韓共催・世界フットボールカーニバル終了後、イタリアに移籍。その類い稀な能面のように整った土気色のルックスから女性ストーカーに付き纏われ熱いキスをされる。
伝説3編集
一時、へなぎは本来のスタイルを見失い、イタリアへのお笑い界進出の為に凄まじい攻撃性[10]を見せたことがある。このようなスタイルはへなぎ本来の平和を愛するファンタジスタ的な芸風とはかけ離れているため、時々その日の気分でスタジアムで警官を襲うイタリアのファンには一時的にバカ受けしたようで、 このような時のへなぎは芸名もイタリア訛りの「ヤナガシワ」に替えていたようである。
伝説4編集
ドイツ・世界フットボールフェスティバルを前に、某有名大衆週刊誌に「君の夜の決定力はロナウド並み? それともへなぎさわ並み?」との見出しで特集が組まれる。無論フェルマーの最終生理に鑑みれば、結婚式の真似事までした彼女にフラれたロナウドとは逆にへなぎさわの夜の決定力は抜群であることは真理であるが、サッカー後進国の日本においてもこの事実がついに認識されるに至ったことを示す象徴的な出来事となった。
伝説5編集
新春ドイツ蹴鞠大会の直前クロアチアに帰化し代表入り。日本との対戦[11]では加地亮の強烈なキックに対し往年の名手ルート・フリットをして「理解不能」と言わしめたスーパークリアを放ち[12]世界中から「ありえない・信じられないプレー」と手放しで絶賛される。当地ドイツの新聞では「芸術作品」との評価を得た。なお伊紙がイタリアで似たような名前のMFがプレイしていた記録があるが「本当にセリエAにいたのか?同姓同名の別人ではないのか?」という謎のコメントを出している。
このプレーに関してへなぎさわは試合後「急にボールが来たので」とコメント[13]。いきなりボールが来たにもかかわらず臆することなく見事なクリアを見せた姿勢にクロアチア紙は「へなぎさわというDFは有能で助かる」と感謝の意を表明、日本においてもインターネットを中心にその武士道精神[14]に絶賛が相次ぎ人気を不動のものとした[15]。
この発言は「QBK」(Qni Ball ga Kitanode)と略され、2006年の流行語大賞を狙える位置にいたが惜しくも選出されなかった。ちなみに、QBKの項目をウィキペディアに作ろうとしても管理者が主導する言論弾圧によって削除される。その筋からの圧力がかかっているのではないかとして世論の政治不信が増大、安倍内閣の支持率低下に拍車がかかる結果となる。
伝説6編集
オシム・ジャパンを見て「ボクもアソコでやりたい」と語りその後公然わいせつ罪(日本刑法第百七十四条)で現行犯逮捕される。
伝説7編集
所属チームでの合宿中無断で合宿所を抜け出し隣家の風呂を覗く。入っていた男性に見つかり現行犯タイホされ実刑半ケツを出される。現在は第ニ審を係争中であるが、 弁護団の裁判妨害などもあり裁判は遅々として進まず、期待した新作ギャグがなかなか見られないことに退屈したファンのなかではへなぎさわに帰依を誓う主流派と反主流派に分裂、反へなぎさわ派が分離独立して独自の団体を創ることを公安当局に報告した。へなぎさわの影響力の大きさを示すエピソードといえよう。
伝説8編集
深夜番組にて昔愛した女に「あいつは早いんだ、人の3倍早いんだよ。さすがスポーツ選手」と熱い想いを語られた。
伝説Q編集
へなぎと「師匠」こと鈴木隆行がコントでコンビを組むと絶対に日本代表は負けないという神話。無論事実である[16]。これはあまりにも高等すぎるボケを見せるへなぎとDFW(ディフェンシブ・フォワード)と称される師匠の鉄壁のツッコミが両チームのやる気と体力を凄まじい勢いで削っている為なのは言うまでもない。これに関し本人は点が入らなければ負けようがないという事実をイタリアで学んだと語る。ちなみに、師匠の新しい就職先も一緒に探してあげているらしい。だって、コンビだもん。
伝説10編集
2011年8月20日、名古屋グランパス戦において、ロングボールをトラップした名古屋グランパスのゴールキーパー高木義成からボールを奪い、無人のゴールへシュートを打ったが外したと報じられた。しかしこれは高木義成の体調不良を遠くから察知した柳沢が全速力で駆け寄り、いったんプレーを止める為にフェアプレーの一環としてボールをわざとゴールポストのすぐ横に出しただけである。尚その後柳沢自身も体調不良でピッチに倒れ込んでしまった。フェアプレーの証拠に利き足ではない左足で蹴ったとされている。これらに関し、トルシエは「それが柳沢が柳沢である所以だ」と語っている。以後この技を、GGH:から空きのゴールに左足で・・と呼ばれるようになった。
各界からのコメント編集
日本の勝利はキーパーの股を抜けていってしまった
〜 QBK について、新華社通信
技術以前の問題だ。幼稚なシュート、初歩的なミス。どうしたら、あのような場面でシュートを外すことができるのだろう。あの場面で決められないのは、プロの選手として考え難い。カシマというクラブに同情する
〜 QBK について、フランス・レキップ紙
FWは何故かシュートを打とうとしない
〜 柳沢敦 について、イタリア・デ・ポルト紙
柳沢に“ゴールの決め方”という本を読ませた方がいい
〜 柳沢敦 について、イタリア・ガゼッタ紙
セリエAで3年間無得点の男が、大舞台でさらに醜態を晒した
〜 QBK について、イタリア・ガゼッタ紙
日本選手がミスをするたび、外国人記者から失笑が漏れる。恥ずかしさとともに、悔しさがわき上がってきた
〜 QBK について、日刊スポーツ
日本の13番は有能なFWで助かる
〜 QBK について、クロアチア・デーリー紙
柳沢は12人目のクロアチアの選手だった
〜 QBK について、ゲーリー・リネカー
柳沢は準備不足だった
〜 QBK について、ジーコ
柳沢を選んだ時点で負けだった
〜 ジーコ について、やくみつる
日本は参加しに来ただけだった
〜 QBK について、ドゥンガ
誰ががら空きのゴールを外したか知っている
〜 QBK について、アナン国連事務総長
アマチュアレベル
〜 柳沢敦 について、オーストラリア代表MFティム・ケーヒル
彼がこのまま4年後、日本代表にいるならば私の後輩にとって、最高に幸せなことだ
〜 柳沢敦 について、元韓国代表GK李雲在
彼が私のチームメイトじゃなかったことを神に感謝する
〜 柳沢敦 について、フランチェスコ・トッティ
なぜそこに蹴るんだ。彼は点が欲しくないのか
〜 QBK について、ロナウド
元ドイツ代表のルディー・フェラーなら、骨折してギプスをした足でも得点できた
〜 QBK について、ピエール・リトバルスキー
あの位置からあのボールが枠にいかないシュートは、今後お目にかかることはないだろう
〜 QBK について、パオロ・ロッシ
彼は、おそらくサッカーと似た何か別の競技をやっていたのだろう
〜 柳沢敦 について、ジョゼ・モウリーニョ
あれはサッカーを知っている人だったら「難しいプレー」
〜 QBK について、平瀬智行
外す方が難しい
〜 QBK について、フィリップ・トルシエ
私はありとあらゆる場面でゴールを決めてきた。シュートの技術は誰よりも優れているという自信はある。だが、あのシーンでゴールを外すのは私にとっても簡単ではないだろう
〜 QBK について、マルコ・ファンバステン
俺だったら引退してるよw
〜 QBK について、元韓国代表FW李天秀
うわっ、こっち来たとビックリしてしまった、それが真相
〜 QBK について、平畠啓史
柳沢は落ち着いたほうがいいよ
〜 QBK について、ブラジル人の少年
四番打者が送りバントばっかりしてたら怖くないでしょ
〜 FWの哲学 について、李忠成
…と、言いたい所ですが、アンサイクロペディアにあるまじき事態なのだが……以上のコメントに執筆者の創作は含まれていない。
な、なんだってー!
獲得タイトル編集
- お笑い新人王(1997)
- クロアチア国民栄誉賞(2006)
- 韓国政府から感謝状と勲章(2002,2006)
- 全仏珍プレー賞(2006)
- 伊紙から金のバケツ賞(2004-2006)
- 近所の商店街から残念賞(1994-2006)
- アンサイクロペディアよりQBK一回忌記念「醜怪な記事」認定(2007)
↑の物としばしば混同されるが別物である。
著書編集
- 「側用人心得 処世術のススメ」(1688)
- 「俺のシュートを受けてみろ! -若き投手の自画像」(1997)
- 「天才 柳沢教授の私生活」(1999)
- 「フェミニズムが人口減少に与える影響について」(2007)
DVD編集
関連項目編集
脚注編集
- ^ へなぎサイクロン
- ^ へなぎスルー
- ^ へなぎワールド
- ^ これがQBKだ
- ^ ヘナギダイヤモンドダスト
- ^ ヘナギダイヤモンドダスト、角田を凍らす
- ^ [1]鯱戦ヤナギのQBK特盛り(1分17秒あたりから)
- ^ そして伝説へ・・・
- ^ ダンスダンスレボリューション
- ^ ストリートファイターQ
- ^ ウイニングイレブン9
- ^ ファイナルファンタジーQ
- ^ へなぎ伝説2 新たなる戦い
- ^ サムライスピリッツ
- ^ 逆転裁判 蘇る真実
- ^ エデンの戦士たち
外部リンク編集
この項目「柳沢敦」は、先人によって冒頭部が作られ、代々伝えられてきた物語のほんの序章に過ぎない、始まったばかりの項目です。これからの本当の物語の綴り手は、あなた自身です。 (Portal:スタブ)