公武合体

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公×武合体(こうぶがったい)とは、衆道男色の一種で、攻め皇族(特にやんごとなき御方)か公家受け武士ないしは武家のものを指す。では武×公合体はあるのかと考えるが、ない。それは禁中では武士が犬っころと同レベルで扱われており、ケツを差し出す程度の存在でしかなかったからである。

歴史編集

衆道は平安時代の初期に中華帝国から渡ってきたと考えられている。大朝鮮帝国からそっぽを向かれた小日本は、そのころ古くから男色恋愛がはこびっていた中華帝国と国交を結んだのである。中華帝国ではTDNのように反撃を受けずに臣下のケツを味わうために逸物を切った宦官がいたが、小日本の日王は小心者で、そういう話を聞くだけでぶるぶる震えるため取り入れなかった。

古典文学上では日本最古の長編官能小説源氏物語にも公公合体が散見されるが、そのころ禁中では武士は遠国の荒ゑびす程度としてしか扱われていなかった。衆道が禁中で大々的に扱われるようになるのは武士が活躍するようになる院政期からである。そのなかでも特に後白河法皇は無類のヲトコ好きで平清盛源頼朝と二股をかけたため治承・寿永の乱を誘発した。

うんと飛ばして時代は幕末となる。徳川慶喜水戸光圀公の血を引き歴史を研究しており、孝明天皇の唯一無二の愛人で連日連夜、公×武合体していた。しかし孝明天皇は便所でのアナルオナニーのしすぎで急死してしまい、幼少の明治天皇が即位したためオヤジ好きであった徳川慶喜は勢いをなくす。そこに登場したのが岩倉具視ほか後の精子政府の面々である。ヲトコの中のヲトコである薩摩隼人を含む彼らは江戸幕府よりテクニックが上手でまたたくまに明治天皇を虜にしてしまった。王政復古の大号令における岩倉具視の「今日の布団はことごとく天子様の精の汁に濡らされている。勃たない天子とは何事か」という発言はあまりにも有名である。

関連項目編集

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