マンコ・カパック

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マンコ・カパックインカ帝国の初代皇帝(厳密には当世は国)である。その武勇と治世により、マンコは現在でもなお多数の男性から崇拝の対象とされている。

インカ帝国のマンコとママ

概要編集

マンコ・カパックまたはアヤル・マンコはインカ神話の始祖となる偉大なマンコである。マンコは信仰の対象であり、多くの人々から愛されている。

生涯編集

少年時代編集

マンコはチンプトコに生まれた。マンコの大事なチンプトコは常に強くて大きいアイマラ族に攻められていた。マンコの父のタンポは小さなマンコが屈強なアイマラに襲われるのではないかと恐れていた。そのため小さきマンコはタンポに守られながら精強なアイマラから逃げ回ることになるのであった。 マンコが若い頃は、誰も彼が後のインカの王になるとは想像もしていなかった。どの将軍も重臣もマンコを軽んじていた。幼いマンコは偉い人からナメられていたのである。

しかしながら成長するにつれ、マンコは徐々にその頭角を現し始め、マンコは少しづつ大きくなっていった。 やがては誰もが彼こそ次のインカ統領であると考えるようになった。評判は広まり、誰もがマンコの事しか考えられなくなった。

皇帝への即位編集

マンコが20歳の時に父が崩御し、インカ帝国の都クスコで、新王の選出が行われることになった。そして、遂にマンコは首都クスコに到着した。そして、同時にマンコはこの時からカパックの称号を名乗るようになった。この時以降、マンコの運命は大きく花開くことになる。マンコはクスコにてカパックと大きく開かれたのである。

王に即位する者は、評議会による投票によって決められることとなった。しかし潔癖なマンコは、自分の派閥や身内の者達に、自分に投票する事を禁じた。彼は組織票で王位に就く事をよしとしなかったのである。マンコはどこまでも清楚だった。マンコの部下達は、マンコに入れたかったのに、それができない事にひどく落胆した。彼らはクスコでマンコを見かける度に、マンコに入れさせてほしいと何度も哀願した。マンコはとても魅力的だった。

身内での組織票を禁止していたにも関わらず、マンコはインカの皇帝に即位した。マンコの人気は留まるところを知らず、マンコが王となるのは自然の成り行きであった。誰もがマンコを崇めていたのである。「マンコ、万歳。マンコ、万歳」と新皇帝を讃える民衆の声が、全インカにこだました。マンコは興奮し、民衆の期待に応えるべく、マンコはやる気まんまんで治世に臨んだ。寝る間も惜しんでマンコは勤しんだ。

結婚編集

当時のインカでは兄弟姉妹間での婚姻は固く禁じられていたが、マンコは姉妹であるママ・オクリョと恋に落ち、ついには結婚してしまった。ママのマンコとなったのである。

晴れてママの夫となったマンコは、様々な法律、文化、伝統を生み出していった。全てはマンコから生まれたのである。 しかしながら、王がみずから法を破るのはいかがなものだろうかと、多くの民に非難された。自らやぶってしまったことを、多くの人々に非難され、ツッコまれたのである。

全盛期編集

マンコの治世が安定するとともに、その権威は非常に高まった。マンコは「けっしておかす事ができない存在」として、広く知られる事となった。この頃から、マンコを呼び捨てにする者はいなくなった。 誰しもがマンコを丁重に扱い、王マンコは名君の器であると絶賛された。

マンコは汗水たらしてチュンビクンチャ、クインティクンチャ、サイレクンチャ、ヤランブイクンチャという湿ったスポットを作った。この湿ったスポットは近隣の屈強な男たちから狙われそのたびにマンコが処理しなくてはならなくなった。民にとってもマンコのチュンビクンチャ、クインティクンチャ、サイレクンチャ、ヤランブイクンチャは気持ちのいい場所であったのでなんとしてでも守りたかったのである。

その一方でマンコは宮殿の奥深くに閉じこもり、滅多に国民に姿を見せなくなった。かつてのマンコはおおっぴらに晒される存在であったが、次第に決して見る事ができない隠されるべき存在となったのである。世間では、マンコは隠すのが当然であると教えられた。

没落編集

マンコの治世はインカの黄金時代であったが、マンコの最期は幸福なものではなかった。青年時代のマンコは独断で物事を決定していたが、やがて年老いるにつれ、マンコはどんどん黒くなり派閥の重臣らと群れを成すようになった。多くの歴史家がこの派閥主義がマンコ没落の原因となった事を指摘している。マンコがムレるのは良いことではなかった。

こうしてついに反乱が起こった。クスコに指導者に率いられた反乱軍が押し掛け、宮殿を襲った。皇帝の尊厳は犯された。ついに、マンコが犯されたのである。長年の間にマンコの信望は失われており、宮殿を守る兵士はもはや形骸に過ぎず、いわばカス同然であった。マンコは仲間を引き連れ、やむなく宮殿から逃亡した。しかし、反乱軍の指導者はマンコ一行に追っ手を出した。彼らはマンコについたカスを完全に取り除くことにしたのである。

また、追っ手達のほとんどが年端もゆかぬ少年兵であったため、隆起した彼らの結束はとても固かった。彼らの合言葉は「マンコを犯さずに死ねるか」であった。

逃避行の最中、マンコは髪や髭を整える余裕もなかった。マンコは毛でボーボーだったのである。当然ながら、入浴に費やす時間もなかった。この時期のマンコは非常に臭かった。更に、この時期にペルー特有の雨季が始まった。何日も続く長雨が寄る辺の無いマンコ一行の上に降り注いだ。マンコはぐしょぐじょに濡れていた。

海辺に辿り着いたマンコ一行は、疲れを癒すために、携帯していた干し肉を食べた。喉の渇きを覚えたマンコ達だが、近くに川や沼等の水飲み場が無く、仕方なく海水を飲んだ。しかし体力が落ちていたせいであろう、むせこんだマンコは、飲んだ潮水を全て吹き出してしてしまった。恥ずかしい事にマンコが潮を吹いたのである。

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クスコから遥か南まで落ち延びたマンコは、ここまで逃げれば大丈夫であろうと、ようやく胸を撫で下ろした。マンコは長い間に伸びた髭と髪を剃ることにした。マンコは毛を剃り落とし、つるつるになった。

そしてマンコ一行は天幕を張って眠りに就いた。しかし、その油断が彼の命取りとなった。夜半にマンコの陣は追っ手の奇襲を受けた。何が起こったのかを理解する間もなく、無数の矢が天幕に射掛けられ、マンコの幕は破られた。

マンコは這う這うの体で逃げようとするが、それは叶わなかった。マンコに向けて射られた矢のうちの一本が、マンコの身体を射止めたのである。致命傷であった。マンコは深く貫かれて血が流れた。

追っ手達はマンコの死の様をこの目に焼き付けておこうとしたが、やった後のマンコはなんだかグロテスクに見えて、とても気持ちいいものではなかった。そこにはかつて栄華を極め、時に民衆を熱狂させ、多くの男達を魅了し、いきり立たせていた時の面影は無かった。マンコはついに果てた。

こうしてマンコはその波乱万丈の生涯を終えた。ここに、マンコの幕は閉じられたのである。息子のチンチロカはマンコに突き動かされて新たな気持ちの良いスポットを拡大していき、マンコを愛するように説いた。その場所こそが現代世界中から愛されているクスコでありマンコが広げたスポットであった。

評価編集

現代のペルーでも、インカ帝国初代皇帝であるマンコの人気は健在である。「マンコの事を考えて、心が躍らない男性は誰もいない」とも言われている。また、その人気はペルーのみに留まらない。ある意味では、世界中の男性誰もがマンコを愛していると言っても過言ではない。

『男性誰もが』とひとくくりにするな! 私は愛しておらんぞ!
マンコ・カパック について、オスカー・ワイルド

参考書籍編集

  • つボイノリオ 『インカ帝国の成立』
絶唱をお聞きください

関連項目編集

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