教科書には載らないアンサイクロペディアの歴史
(アンサイクロペディアの歴史から転送)
教科書には載らないアンサイクロペディアの歴史(きょうかしょ-の-れきし)とは、文字通り教科書に載ることの無いアンサイクロペディア日本語版の歴史を綴ったものである。もしあなたの持っている教科書に載っていると言うのであれば、病院へ行くことをお薦めする。また、自分のことについて書かれている部分が除去されたとしても、超人預言書のようにあなたの体がねじれたり消えたりすることはないので安心して欲しい。
本歴史書の編纂について
本歴史書は、2009年に、歴史学者による履歴地層の発掘調査および、各地の伝承をもとに編纂された。したがって今後、2009年以前の内容が書き換わる可能性は大きい。我々『教科書には載らないアンサイクロペディアの歴史編纂委員会』は発掘調査に協力してくれる有志や、歴史上の人物であるRyoske氏やKasuga氏を現世に呼び出してくれるイタコを随時募集している。
学会議事録
歴史学会の議事録がここにまとめられている。この学会は過去に「日本語版アンサイクロペディアは現在の場所ではなく英語版アンサイクロペディア高天原にて生まれた」「『国産み』の時期を2005年12月から2006年5月に訂正する」といった功績を上げている。
編纂元の歴史書
- アンサイクロペディア運営委員会議事録 - 編纂者ふぇんりる氏(旧版は(あ)氏)。2007年以降の民間伝承が年月順に収められた歴史書である。当時の民衆の暮らしぶりが伺える重要資料である。
- Uncyclopedia避難所 - 編纂者だいひまじん氏。2007年3月以降の民間伝承が収められているが、記述量の少なさから歴史的資料としての価値は上記議事録に劣る。
歴史ミステリー
アンサイクロペディアの歴史において、大きな3つの謎が存在する。これらは常に歴史学会でも争論となっている。今後の研究と発掘調査により、これらの謎が明かされていく事であろう。
- 1.
2005年12月のメインページ設立より前に、複数利用者の投稿記録があるのは何故か。- 編纂委員会が見事に謎を解明した。これらは元々日本語版アンサイクロペディアが英語版の1プロジェクトだった時代に英語版利用者が投稿した記録である。
- 2.
2006年1~5月、いわゆる「空白の5ヶ月」における記録。- 歴史書の編纂が始まったときは空白状態であったが、発掘作業が進んでこの空白は埋められつつある。日本史の「空白の四世紀」に一歩先んじることに成功した。
- 3.
神話の時代のCarlb神(サーバー管理者)とRyoske氏は、どこでどのように結託して2006年5月の「国産み」を行ったのか。- これも編纂委員会が謎を解明した。Carlb神が
勝手にhttp://ja.uncyclopedia.info/wiki/を立ち上げてバベルや日本語版ウィキペディアを始め複数箇所で公開し、それを知ったRyoske氏が一番に利用者登録して編集活動を始めたとする説が有力である。
- これも編纂委員会が謎を解明した。Carlb神が
歴史
神話の時代
- 2005年以前 - 主神ソフィアがお生まれになる。
- 2005年1月 -
英語版アンサイクロペディア高天原が創られる。 - 2005年3月9日 - 最古の投稿がChronarion氏により高天原で行われたと伝えられている。この人物が実在する人物か架空の人物かについてははっきりしていない。
- 2005年3月10日 - 高天原の"Japan"の記事がブログで日本語に翻訳される。この資料が「バ科事典」の名称の初出であり、「バ科事典はRyoske氏が命名した」という逸話は後世による権威付けであるとされている。
- 2005年3月12日 - 最古の日本語記事である「日本」が高天原で投下されたと伝えられている。この記事は完全オリジナル記事ではなく、上のブログのコピペ記事であり、いかにもアンサイクロペディアらしいスタートを切った。また、この記事はアメリカから見た日本として風化しつつも現存している。
- 2005年12月7日 - 高天原に日本用「Babel:ja:メインページ」が創られる。これを日本語版アンサイクロペディアの誕生とする学説もある。
2006年
- 1月1日 ‐ Ryoske氏、メインページを構築する際にバ科ニュースの項目を初めて整備する。
- 2月20日 - 初めてニュースが投稿される。この頃はメインページに直接書き込む形式であった。かつては3月3日に投稿された繁体字交じりの古代語で記述されているとされてきた。
- 3月11日 ‐ この日を境に日本語版アンサイクロペディアにおいてCarlb神やRyoske氏以外に存在していたほとんどのユーザーのアカウント情報が全てUser:guest氏に変更される。
- 5月25日 - Carlb神とRyoske氏が交わり、高天原の日本語ページを呑み込んで、アンサイクロペディアの前身「バ科事典」をここhttp://ja.uncyclopedia.info/に国産みしたとされる。この日以降は英語版と日本語版の履歴情報が合致しなくなるので完全に分離したものと思われる。Ryoske氏は歴史上実在が確認されている最初の人物である。
- 5月26日 - 最古の会話が行われる。この時代に既にニンジャスターが存在したことが明らかとなっている。
- 6月1日 - トーク:Nihilismにて最古の議論が行われる。
- 6月19日 - モリッシー・モリッシー氏(Carlb神とRyoske氏以外では最古の利用者)により、コミュニティ・ポータルが設立される。
- 7月5日 - 祝・日本語アンサイクロペディア項目数100本を突破!
- 7月10日 - 7月30日 Ryoske氏が4名を管理者・BCに任命。この頃から編集活動は活発化し、飛躍の時代を迎える。
- 8月13日 - メインページに直接書きこむ形だったバ科ニュースのアーカイブとしてバ科ニュースが立項される。
- 8月23日 - ひよこ陛下のお姿であるファイル:Hiyoko.jpgが顕現される。当初は天皇の記事に使用されていた。
- 8月27日 - 日本語版の通称を「バ科事典」から「八百科事典」へ改称。
- 9月13日 - Asakaze氏が4名を管理者・BCに任命。翌日にはさらに3名を任命。以後も翌年4月まで「お札降り型」で管理者・BC任命を継続する。これによって管理者の質の低下が懸念されるようになり、後の投票任命制度を求める声につながることともなる。
- 9月13日 - 同日未明にUncyclopedia:秀逸な記事が開設される。初掲載記事はおばちゃん。正式に議論で決まった開設ではなく、なし崩し的に誰でも記事を追加できるように始まったため、ここから秀逸な記事のバーゲンセールが始まる。上述の管理者お札降りと合わせて9月13日は「粗製濫造記念日」とされている。何やってんだアンサイ。
- 9月14日 - 日記が始まり、初版とはうらはらにダメ人間を脱出できない人たちの集まりとなり、以降はアンサイ最多編集記事となる。
- 9月29日 - ひよこ陛下が即位。この年の5月25日に生誕されていた陛下であるが、初めて大衆にその姿を現した。尊ひよこ陛下派と反ひよこ陛下派の仁義無き戦いがここから始まる。
- 10月6日 - 項目数、何故か1,000本の大台に!!
- 12月2日 - アンサイクロペディアの創始神、Carlb氏が管理者権限を剥奪される。「活動がない」ことがその理由。神もへったくれもない。
- 12月4日 - 日本語アンサイクロペディア項目数、遂に2,000本突破!!
- 12月9日 - マスコットキャラクター「アンサイクロペたん」の正式イラストが募集されるものの、
文句なしのハイクオリティな絵が出なかったためうやむやのまま幕を閉じる。
2007年
- 1月2日 - 現人神Kasuga氏により、記事の廃棄処分場アンディクショナリーが作られる。
- 1月5日 - アンサイクロペディア運営委員会設立。第三者諮問機関として健全な運営がなされる・・・わけがなかった。
- 1月9日 - 利用者名に@が使えなくなった。
- 1月11日 - 夢の3,000項目達成。
- 2月17日 - 驚愕の4,000項目達成。
- 3月4日 - だいひまじん氏により、Uncyclopedia避難所が設立される。
- 3月11日 - 利用者‐会話:ストッキングスにて最古のようこそが行われる。
- 3月23日 - Portal:国が設立される。
- 3月25日 - 元老の一人モリッシー・モリッシー氏、置き土産を残してアンサイクロペディアから完全に隠遁。
- 3月26日 - Portal:スタブが設立される。
- 3月29日 - 待望の5,000項目達成。
- 4月3日 - 管理者数がアンサイクロペディア日本語版史上最高となる27名を記録。この日を境に、管理者任命は転機を迎える。
- 4月8日 - Amatias氏が投票による管理者任命制度を提起。従来の「お札降り型」任命方式からの変革が始まる。
- 4月11日 - 話切徒氏が独自に投票による管理者任命制度を提案、実施に移される。この制度に基づいて、7月1日までにNisehoka氏と八月十五日氏の2名が管理者となる。投票による管理者任命制度はこれが最初で最後である。
- 4月27日 - 増殖を続けた管理者・BCの見直しが開始。この日4名がAsakaze氏によって休職となり、以後も休職者が続々発生。任命者は軽く落ち込むことになる。
- 5月20日 - ひよこ陛下崩御!
- 5月21日 - ひよこ陛下が復活
- 5月28日 - ロール神のお導きにより6,000項目達成。
- 7月13日 - phoque氏がアンサイクロペディア史上、最初で最後の「臨時管理者」となる。
- 7月17日 - 管理者見習い制度である「のびた君制度」設立。今日に至るまでの管理者任命制度となる。もう少しセンスのいい名前はなかったのかと、皆首をかしげることになる。同日、春野秋葉氏が初ののびた君となる。7月中にさらに3名が就任。
- 8月2日 - アンサイクロペディア運営委員会で推敲されていた「アンサイクロペディア (エロゲ)」の記事が投下され、のちに名物記事に成長する。
- 8月6日 - 魔法使いの魔力により7,000項目達成。
- 8月17日-8月31日 - 第一回人気投票が開催。Muttley氏が堂々の1位に。キッコーマソ氏は管理者で最下位となり涙目になる。
- 8月30日 - くぎり氏が高天原から言行録を持ち帰る。が、誰の気にも留めてもらえず。
- 9月1日-10月8日 - 記念すべき第1回執筆コンテストが開催される。なお、結果発表は避難所で行われた。
- 9月4日 - 初ののびた君である春野秋葉氏が投稿皆無によりのびた君の役を休職。
- 9月9日 - 伝説の短い記事兄弟船誕生。これ以降9月9日は兄弟船の日という祭日になる。
- 10月10日 - ネ申のお導きにより8,000項目達成。
- 10月13日 - 8月30日に臨時管理者から移行する形でのび太君となっていたphoque氏が、のび太君制度最初の卒業生となる。
- 10月15日 - 一大勢力を誇った広東糸瓜共和国が滅亡。ノート:広東糸瓜共和国では、間違った方向に向けられた努力の残骸たちを確認できる。
- 10月26日 - くぎり氏によりアンブックス神社が建てられる。信者はこぞって書物を納品する。
- 11月6日 - Portal:アニメが設立される。
- 11月7日 - Portal:漫画が設立される。
- 11月8日 - 多くのパワーユーザーを黙らせた伝説的なフォーラムが建てられる。
- 11月9日 - Portal:人が設立される。
- 11月10日 - Portal:画像、Portal:食が設立される。なお、ポータルに利用者がいるのかは果てしなく謎である。
- 11月13日 - 高天原にある神楽の文化を取り入れないかという提案があったが地上には踊り手がいないためなかったことにされる。
- 11月15日 - Portal:都市が設立される。
- 11月20日 - ムツケ氏が最初の自薦(立候補)によるのびた君となる。
- 11月26日 - Portal:放送が設立される。
- 12月4日-2008年1月1日 - 拡張王執筆コンテスト(第2回執筆コンテスト)が開催される。Template:Expansionを輸入した利用者自身による製造物責任法遵守の事例として名高い。
- 12月9日 - 早すぎる大掃除にて発見されたへそくりが原因で9,000項目達成。
- 12月14日 - 7月18日にのびた君に就任したPeacementhol氏がおもいっっっきり紆余曲折したうえで結局権限放棄。
- 12月25日 - Muttley氏によりアンチューンズが創設される。11月13日の議論で人が来ないだろうという意見が大勢であったがやはり人は来なかった。
- 12月28日 - 高天原の使者NXWave氏がアンチューンズ乗っ取りを計画しMuttley氏に襲い掛かるが退治される。またネッツ氏により、Portal:ゲームが設立される。これによりネッツ氏は新規ポータル設立数最高記録を樹立するが、後にPortalの粗製濫造・放置が問題になったとかならなかったとか。
- 12月31日 - 弱氏、管理者就任を目前にして突如消息を絶つ。古参の管理者ら保守派による大晦日の暗殺説が濃厚。
2008年
- 1月4日 - 2008年執筆・加筆コンテスト(第3回執筆コンテスト)が
どこぞのアホによってアカウント取得後わずか25時間後に開催され、そして黒歴史伝説となった。 - 1月8日 - 第一次記憶喪失が発生。サーバーが約5000項目の記事を一時的にお忘れになり、アンサイクロペディアン達は阿鼻叫喚する。
- 1月18日 - IPによる荒らしが原因でキッコーマソ氏によって秀逸な記事が半保護される。これにより以後アンサイクロペディアの秀逸な記事は完全に管理者とその犬たちによって管理されることになる。
- 2月28日 - (あ)氏により、アンサイクロペディア運営委員会議事録が作成される。
- 3月 - Forum:Ansaikuropedhiaとuncyclopediaの運用について教えてください。でアンサイクロペディアのWikia移転が提案されるが、サイレントマジョリティにより静かに幕切れとなる。
- 3月16日-4月13日 - 第4回執筆コンテストが開催される。テーマはB級記事であった。
- 4月3日 - UnNews:『緊急地震速報』誤作動影響で死者5人の記事がエフエム東京社員より抗議される。誤認ブロックも発生し、アンサイクロペディアが激震する。
- 4月12日 - アンサイクロペディアンの皆様が支援してくれたおかげで念願の10,000項目達成。これを機にメインページ用テンプレート「Template:項目達成」が多くの更新中毒者に惜しまれつつ廃止された。
- 4月24日 - 管理者のかぼ氏が包茎の記事を荒らす。
- 関連:「かぼは包茎なの?」 [1]
- 4月 - 「エクストリーム・聖火リレー」の記事が爆発的ヒット。
- 5月15日-6月27日 - バ科ニュース2008 春過ぎた! 誤報コンテスト(第5回執筆コンテスト)が開催される。初のバ科ニュース記事専門コンテストとなった。
- 5月16日 - かぼ氏が東京FM騒動の責任を取り、管理者を電撃辞任。
- 5月下旬 - コンテストの影響で大量の(当社比)長文ニュース記事が投稿されるも、アンサイクロペディア運営委員会により質の低下に対する懸念が表明された。
- 5月31日 - のび太国が滅亡。第二のび太国は辛くも生き残った。
- 6月下旬 - コンテスト終了後、反動のためか長文ニュース記事の投稿が激減する。
- 7月18日-9月19日 - 第6回執筆コンテストが開催される。夏休みの宿題として、読書感想文の提出が求められた。
- 7月25日 - あずまんが大王国が滅亡。
- 8月 - 記事の表示回数の増加量が約1/7(当社比)に激減する。キャッシュを読むようになった説、実は今までがバグでアンサイの読者はこれくらい少ない説が唱えられた。
- 8月 - 「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」の記事が大量アクセス数を稼ぎ出すとともに、ノートページでTinpoppo氏がご乱心。このとき「Uncyclopedia:秀逸なノート」が設立され、第一号ノートとなる。
- 9月2日 - 11,000項目達成。
- 9月 - ウィキペディアを追放された「かもちゃんず」こと鴨南蛮氏が登場。遅れて登場したソックパペットとみられる御徒町氏の正体を巡ってアンサイクロペディア運営委員会にて本格サスペンス「アンサイクロペディア (推理ゲー)」が開催される。最終フェーズのCU依頼はクロかシロか!?INSERT COIN!
- 9月13日 - 第二のび太国が滅亡。これをもってのび太国は完全に歴史の表舞台から退場することとなった。
- 10月5日-12月1日? - エクストリーム・NRV剥がしコンテスト(第7回執筆コンテスト)が開催される。記憶喪失前に書き込まれた採点の一部が消失し、正常な終結を迎えられなかった悲劇のコンテスト。有志によってとりあえずの結果発表は行われたものの[2]、参加者にあたえた空虚感、主催者を苛む脱力感は計り知れない。ちなみに、現在も開催中である。
- 10月30日 - 約1年ぶりの新のびた君(Iovzyakasi-01-氏)が誕生する。それまでなかなかのびた君が誕生しなかった理由についてであるが、管理者が権力を振るうサド体質から利用者に吊るし上げられるマゾ体質に変化しているのではと囁かれた。
- 11月17日 - 「カテゴリ爆発」発生。すべての記事がカテゴリから吹っ飛んでしまい、整備班が大忙しになる。
- 12月14日 - 第二次記憶喪失が発生。サーバーが3週間分の記事をお忘れになる。本家の会話ページで応答しないサーバー管理者Carlb神を引っ張り出すことに皆必死になり、その説話はのちに「Carlbの岩戸隠れ」として伝えられることとなる。そのCarlb神を引っ張り出すことに成功した英雄はIke氏である。なお、3週間の記憶は戻らず終いだった。
- 12月20日 - 第二次記憶喪失の影響もあり、アンサイクロペディア談合所(弐代目)の同時参加者数が新記録の8人を樹立する。
- 12月25日 - タレント飯島愛さんの嘘の遺書を書いたUnNews:飯島愛さん、抗議の自殺かのコピペが、多数の外部サイトに出回る。この影響か、ノートも一時荒れかけるが、主筆者が議論を面倒がって記事に{{即時削除}}を貼ったため、一応は事なきを得た。
2009年
- 1月 - 「東方Projectの登場人物」が「魔法少女リリカルなのは」を表示回数で追い抜き、通常記事1位となる。同時に削除主義者の方々に目を付けられる。
- 1月29日 - トーク:東方Projectの登場人物での2年越しの議論に幕。Fixやさらには削除などの刺激的な意見も出ていたが、結局二氏による改稿という無難なところに落ち着いた。
- 2月3日 - Sts氏によって2008年の十大バ科ニュースが選出される。
- 2月14日 - バレンタインデー撲滅運動2009が開催されるが、声は届かず、バレンタインデーは通常通りの開催で管理者涙目。
- 2月20日 - Forum:ヘルプデスクが設立される。
- 2月 - 秀逸な記事が投票で選ばれるようになる。それまでの粗製濫造の反動であまりに高い敷居が設定されてしまい、以降、改定されるまで多くの良記事が返り討ちに合う。
- 2月-4月 - いわゆるちんこ系荒らし発生。連続利用者登録を繰り返す。既に引退していたはずの七星氏による陰謀説も囁かれ、「Muttley VS. 七星」で興行を打てるのではないのかと噂される。
- 3月 - 「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」が「東方Projectの登場人物」を表示回数で追い抜き、通常記事1位となる。サブカルチャーでない記事が1位となり、一部の削除主義者が安堵の溜息をつく。
- 3月7日 - Portal:鉄道が設立される。
- 3月8日 - Portal:特定アジアが設立される。
- 3月18日 - 12,000項目達成。
- 3月21日 - くまいち氏によって新派エクストリーム・NRV剥がさせが提唱される。2009年後半はこのプレイヤーたちが活躍するようになる。
- 4月1日-5月14日 - 第8回共同加筆コンテストが開催される。初の2名以上の組による参加が求められるコンテストとして話題に。
- 4月20日 - 風物詩が初めて厳しい投票制度をくぐり抜けて秀逸な記事に認定。
- 4月25日未明 - 七星陰謀説の余波で、アンサイクロペディア談合所(弐代目)の同時参加者数が新記録の11人を樹立する。
- 4月25日 - ついに本格的にアンサイクロペディアの遷史をまとめる研究が始動(この記事のことである)。以降、埋もれていた日本語版アンサイクロペディアの歴史が次々と発掘される。
- 5月1日 - アンサイクロペディアへの入国審査の厳格化。新規利用者は裸にされて身体をチェックされてから入国を許可された。テロリストを残らず射殺できるとする急進派と、やりすぎであるとする保守派の溝が深まった。
- 5月16日 - 稼働したばかりの談合所V3が突然の閉鎖。チャット好きは会話相手がいないことに軽くへこむ。
- 6月1日 - 総閲覧件数が1億回を突破する。つまり、ほぼ国民全員がアンサイクロペディアを閲覧したということである[要出典]
- 6月21日 - 登録利用者人数が10000人を突破。しかし捨てハン、ソックパペット、バグの産物も多いため、実態はその何割かほど。
- 6月29日 - Portal:ウィキペディアが設立される。
- 7月9日 - Forum、UnNews、Undictionary、Uncyclopedia_talkなどの名前空間がたまになかったことになる事態が発生。なお、若干1名騒ぎすぎだが、若気の至りだろう。原因は拡張機能Simple Namespacesが片方だけ削除されたこと。
- 7月1日-8月15日 - 記事の書き方講座協賛、第2回バ科ニュース誤報コンテストが開催される。省エネ効果なし? 太陽の消灯見たさに浪費するエネルギーはが圧倒的な得票数でぶっちぎる。
- 8月24日 - MediaWikiが1.16にアップグレード。怠慢なカール大帝が珍しく働く。
- 8月27日くらい - 13,000項目達成。誰も気にしない。
- 9月1日 - phoque氏によりたまり場が作られる。が、議論に向かないTwitterを使用したため利用者たちからの評価は芳しくない。
- 9月11日ごろ -第三次記憶喪失発生。エラーで記事数が増加するなどしたが、三度目ともなればアンサイクロペディアンは十分に訓練されており、比較的冷静に対処が行われた。
- 10月-11月 - 大手2chブログでアンサイクロペディアのおもしろい記事が連続で紹介され[3][4]、大量の人が流入、貧弱なサーバーが悲鳴を上げる。
- 11月14日 - 00:01に日記がめでたく(?)3000版を迎え、ぶっちぎりで版の多い項目の一位に君臨し続ける。
- 11月15日 - 久々にCarlb神が叩き起こされる。
- 11月21日-12月30日 - 執筆コンテストが10回目の開催を迎える。10回目のコンテストはUnbooks:アンブックス初のコンテストとなる。
- 11月-12月 - Forum:BC増員提案、利用者:Asakaze/第10回執筆コンテスト (第1回UnBooks執筆コンテスト)、Forum:軽N氏の管理者推薦、Forum:ノー削除デーやりませんか?、Forum:「秀逸な内輪ネタ」を作りませんか?、利用者:BCD/2009流行記事大賞と、前例になく投票・コンテストが同時並行で多数進む現象が発生。
- 12月24日 - 第1回ノー削除デーが
発議主不在のまま開催。事前の懸念に反してさしたる混乱は見られずまあどっかのアホユーザーがほんのちょっぴり混乱を巻き起こしたらしいけど、盛り上がりに欠けるとの声も見られた。またテンプレートは12/24に作製された全記事に無作為に貼るのか、でちょっと揉めたりもした。- 関連:利用者:九州人/第1回ノー削除デー
- 関連:削除されないんでしょ?
- 関連:バカ記事リダイレクトの刑
2010年
- 1月10日 - Portal:アンサイクロペディア、Portal:医学が立て続けに設立される。
- 同日 - この記事が2009流行記事大賞金賞に輝く。
- 1月12日 - 更にPortal:軍事が設立される。
- 1月16日 - 14,000項目達成。ただし2台あるサーバーのそれぞれの情報が異なっており(もう1台の情報では13,970本程。アンサイクロペディアではよくあること)、真の記事数は誰も知らない。
- 1月22日 - ひよこ陛下を騙っていた利用者が、特高警察によって検挙される。
- 1月23日 - 年末に続き大型議論が年頭も始動。2010年も我がアンサイクロペディアは繁盛しそうです。
- 2月5日 - Uncyclopedia:おすすめ記事が設立される。
- 2月28日 - 軽N氏が管理者に就任。アカウント取得から、のびた君を経て管理者就任に至るまで半年の最短記録は当面破られまい。
- 3月1日 - Portal:歴史が設立される。
- 同日 - ドドンパ氏によって2009年の十大バ科ニュースが選出される。
- 3月21日-4月18日 - 第二回利用者人気投票と第一回利用者ページ人気投票が同時開催される。利用者人気投票では夏月CUSTOM氏が見事第一位に、利用者ページ人気投票でも利用者:夏月CUSTOMが見事第一位というW優勝(?)を果たす。
- 4月2日 - 爆発的ヒットしたフィギュアスケーターが秀逸な記事に認定。
- 4月9日 - アンサイクロペディア (エロゲ)が秀逸な記事から除去。内部からのこの記事の評価は「よくできた内輪ネタ記事」。外部からのこの記事の評価は「きもい」。
- 4月17日 - 日本を代表するヒップホップ歌手、miyocoの実名表記がアンサイクロペディアでは廃止され、芸名表記に統一される。
- 4月26日 - Nisehoka氏がBCに就任。投票制度のみによって一般利用者が管理者に就任し、ついにBCにまで就任したアンサイクロペディア史上初の例である。
- 5月29日 - Portal:成句が設立される。
- 6月上旬 - 第11回と第12回のコンテストが同時に開催される。序数の存在異議を根本から揺るがす事態に。
- 6月5日 - 軽N氏が活動皆無により、休職扱いに。のびた君を経て管理者就任し、そして休職に至るまでの最速記録も当面破られまい。
- 6月21日 - (あ)氏の作成した運営員会議事録が更新されないことに腹を立てたふぇんりるにより新たな議事録が作成される。wikiの仕組みを用いて誰でも編集できるようにしたが、異国の技術が用いられているため、他の利用者は編集ルールの習得に時間を要すだろう。
- 7月5日 - ゴキブリが秀逸な記事の選考にかけられ、全て賛成票であったにも関わらず、規定により棄却される悲劇が発生。8月11日の秀逸な記事の選考制度改正の引き金となる。
- 8月5日 - 15000項目達成。
- 8月6日 初めてのアンクォートコンテスト(第13回執筆コンテスト)が開催(~9月16日)される。
- 8月8日 第13回執筆コンテストに張り合うように第14回執筆コンテストが開催(~9月15日)される。
- 8月11日 - 秀逸な記事の選考制度が改正される。
- 8月下旬頃 - 東方Projectの個別キャラクター記事を書く事が
なぜか流行る。(差分。二週間強の間に10記事以上作成されているのが分かる。) - 9月22日 - 秀逸な記事の選考制度改正後に、ゴキブリが再度、秀逸な記事に推薦されるも、棄却される。選考通過はアンサイクロペディアンのその時の気分に左右されることが判明した。
- 9月30日 - {{cleanup}}という名の地雷が15個もばら撒かれる。後にこれが「10月の悲劇」に繋がった。
- 関連項目:5万バイトの向こう側
- 10月頃 - Rotoryu氏がMuttley氏とのCU一大決戦を前に失踪。プラチナチケットを予約していた観戦者は落胆する。複数の利用者がアンサイクロブレイクすることになったアンサイクロペディア史に影を落とす一連のソックパペット荒らし議論の遠因ともされる。
- 10月19日 - 第3回バ科ニュースコンテストがゲリラ的に開催(~10月31日)されたが誰も気にしなかった。
- 11月12日~ - アンディクショナリーの仕分け作業が始まる。ゴミ箱の仕分けをするようになったら病気である。
- 11月中旬 - 「ウィキペディア創設者ジミー・ウェールズからのメッセージをお読みください」がウィキペディアにおいてもアンサイクロペディアにおいても注目を集める。
- 11月21日 - Portal:音楽が設立される。
- 11月23日 - 続いてPortal:生物が設立される。
- 11-12月 - 第16回執筆コンテスト(テーマ:執筆依頼)、第17回執筆コンテスト(テーマ:下ネタ記事)、流行記事大賞2010の3つが同時並行的に開催される。
- 12月4日 - 3つ目の執筆コンテスト同時開催が発覚、全力で阻止される。
2011年
- 2月10日 - 力士によってメインページが乗っ取られる(アーカイブ)。
- 2月15日 - 現代の魔女狩りとも言えるUncyclopedia裁判の導入が提唱されたものの、却下される。
- 2月26日 - 天狗の仕業で神隠しに遭っていた軽N氏、およそ11ヶ月ぶりに復帰。時前後してアンサイクロブレイク中の利用者が次々に復帰する。
- 3月11日 - 震災発生直後の記事作成は自粛するべきか活発な議論が行われた。
- 3月13日 - 良人氏によって2010年の十大バ科ニュースが選出される。
- 3月25日 - 10日前に書かれた栄村大震災がなぜか現地からの怒りの告発として拡散(執筆者は栄村出身でも在住でもない)。しまいには有名メディアに取り上げられるなどして、フィギュアスケーターが保持していた、アンサイのはてブリンク数1位の座を奪取。
- 4月21日 - Uncyclopedia裁判の導入を提唱したMuNou029氏がソックパペットであることが判明。事態は新たな局面へ。
- 5月上旬 - 各地で復興が始まった頃に、16000項目達成。
- 5月16日 - 6月25日までかけて、震災復興チャリティー執筆コンテストが開催される。ここで生産されたユーモアは、東日本大震災の被災地へ輸送された。
- 6月26日 - 『UnNews:ツイッター日本語版、7月から全面有料化』にバカ発見器が反応、機器の高性能ぶりを発揮して次々と対象を検知する。これによりアンサイクロペディアは『嘘八百科事典』から『悪質なデマサイト』にランクアップを果たした。
- 7月上旬 - サーバーがたびたび、合計1週間ほどアクセス不能になる。『悪質なデマサイト』の批判を受けて全員アクセス禁止を発動したとも、震災後の世論を受けて節電していたともされる。
- 7月24日 - 地上波アナログ放送が終了したことに伴って、アンサイクロペディア日本語版も終了する(魚拓)。アンサイクロペディア日本語版はアナログ放送だったことが発覚した。
- 7月25日 - 翌日、デジタル放送に切り替えて再開する。
- 9月28日 - ボットによる心のこもってない自動ようこそが始まり、人vsボットのエクストリーム・ようこそ新時代に突入する。
- 10月11日 - 第19回UnBooks執筆コンテストが開催される。毎回ギリギリになって提出する執筆者達のケツを蹴り上げるため早期提出得点が導入された。
- 11月2日 - アンサイクロペディア“中の人”がユーモアの難しさを語る。
- 11月8日 - 妄想記事と並ぶアンサイクロペディアの悪しき伝統であるつまらない語録の大量粛清が始まる。汚物語録は消毒だぁ~~!!
- 11月24日 - Muttley氏に3度目の管理者不信任動議の意見提出が行われる。
- 12月 - 激動の2011年を締めくくれ、と言わんばかりにForum:Muttley氏への意見提出 (管理者不信任動議)、利用者:BCD/2011流行記事大賞、助役CheckUser制度と、重要な投票や議論が同時並行で開催される。
2012年
- 1月13日 - 前年の力士に続き、新年早々メインページにて頑張れ受験生キャンペーンがキッコーマソ氏により開催される。これにより、一部の受験生は合格したものの、残りはアンサイクロペディアの見過ぎで浪人することに。(頑張れ受験生特集アーカイブ)
- 1月14日 - リスさん氏主催で2011年の十大バ科ニュースが選出される。
- 1月19日 - 2011年度エクストリーム・謝罪チャンピオン決定投票において、東京電力が2位に大差をつけて優勝。史上初の、永世チャンピオンと殿堂入りの両栄誉の同時受賞も果たした。
- 2月1日 - UCP48総選挙開催。SHINJI氏がセンターとなる。
- 2月18日 - MediaWikiが1.20alphaに進化。悲願の180日間ログイン生活が実現した。
- 2月24日 - 日本語版アンサイクロペディアの利用者数が20,000名を突破する。ただし、多重アカウントも含まれるため実際はこれより少ないと思われる。
- 2月26日 - スパムボットによるものと思われる新規記事乱造・既存記事編集荒らしが出没。暇人たちによるエクストリーム・リバート選手権の開幕となった。
- 2月28日 - エクストリーム・ようこそプレイヤーのキッコーマソ氏が、1日で480件という、ようこそ史上に残る大記録を打ち立てる。ちなみに、同氏は翌29日にも220件のようこそメッセージを放出、2日合わせてちょうど700件という見事な結果を出した。
- 3月8日~3月30日 - 受験シーズンも終わりに差し掛かり合格発表が続々となされる中、アンサイクロペディアに頑張れ受験生キャンペーンを見た実際の合格受験生や不合格受験生から「声」が続々と届く。なお中には受験生を騙った受験生では無い者からのコメントも含まれているが、大半のコメントはちゃんと受験生からの合格の喜びの声であった。(受験生の声)
- 3月 - アンサイクロペディアの仕様が、今までの重いものから省エネモードで稼働開始。ただし画像が表示出来ない・レイアウトが崩れる等の弊害が長期間生じた。
- 3月31日 - 新年度を迎えるため、アンサイクロペディアの仕様が従来のものに戻される。再び重くなってしまった。
- 4月5日 - アンサイクロペディアの版数が100万版を突破。記念すべき100万版目は、ただの会話であった。これがどこかのクソ記事ならば削除されてしまうところであったが、会話ページのためこの利用者が消されない限り半永久的に残り続ける。なお、この偉業を達成した利用者は「何で宝くじで100万円当たった訳じゃないのに命を狙われなければいけないのか」と困惑気味。
- 4月上旬 - 前年6月下旬に大ヒットした『UnNews:ツイッター日本語版、7月から全面有料化』がツイッターでリバイバルヒット。6日にはアンサイクロペディア記事初となる言及ツイート1万件突破を果たす。同記事の執筆者はこの事態を見て全力で苦笑した模様。
- 6月11日 - 5回もの投票の末ようやくUncyclopedia:助役CheckUser制度が正式発効する。
- 7月中旬-8月上旬 - 第20回執筆コンテストが開催される。
- 8月13日~9月9日 - お盆の時期に第一回帰ってきて欲しい利用者投票が開催される。ご先祖様と一緒に一部の先人たちが帰ってきたが、お盆と同じく、すぐに去っていった。
- 9月6日 - Rotoryu氏と突撃ひとり氏が相次いでのびた君に立候補する。
- 10月21日 - 逢沢 茅氏が7月21日からののびた君修行を経て2度目の管理者就任。
- 11月10日 - パイロットを辞めていたシンジ君が、加持さんの説得により再びパイロットを志願する。
- 12月15日 - Rotoryu氏がのびた君を卒業し、管理者に就任する。
- 12月21日 - 17000項目達成。執筆者達も年始までには記事の納品を済ませておきたかった様子。
- 12月31日 - アンサイクロペディアも年末の大掃除。修正が必要な記事が90個を超える。これは2008年秋以来の数字である。
2013年
- 1月7日 - 新年早々、第21回執筆コンテストが開催される。
- 1月13日 - 管理者修行中だった突撃ひとり氏が、妖精さんの魔法により置き手紙を残して失踪。同氏と同じように職場からアンサイクロペディアを利用しているあなたにとって他人事とは思えない事件であった。
- 1月27日 - 昨年末の大掃除の対象記事がまとめて削除議論にかけられ(1日で48個)、削除議論祭りが開かれる。
- 1月27日 - 2012年流行記事大賞の結果が発表される。柳絮氏が作成したかえるの合唱が金賞、ローマ皇帝一覧が銀賞に輝き、同氏の存在感を示した。
- 2月1日 - ウィキペディアのデザイン変更に合わせて、アンサイクロペディアのメインページが改訂される。
- 2月18日 - 第21回執筆コンテストが終わったそばから、第22回執筆コンテスト開催。ウィキペディアに存在しない記事をテーマに、ウィキペディアンの鼻を明かす戦いが始まった。
- 2月19日 - 2012年11月19日からののびた君を経て、SHINJI氏が2度目の管理者就任。
- 3月1日 - 第22回執筆コンテスト開催中にもかかわらず、第23回執筆コンテスト開催。訃報の赤リンクがテーマだが、啓蟄の時期だけに死者を呼び起こす懸念も。
- 4月5日 - コンテスト連続開催にもドクターストップはかからず、第24回執筆コンテスト開催。
- 7月6日 - でみ庵氏がのびた君を卒業し管理者に就任。
- 8月1日 - 第3.5回誤報コンテスト開催。誤報の嵐がアンサイクロペディアを飛び交った。
- 8月18日 - 芸術の秋に向けて、第26回執筆コンテスト開催。
- 11月1日 - 第1回UnTunesコンテストが開催。質はもちろん、出品記事の数でも苛烈な競争が繰り広げられた。
2014年
- 1月1日 - 突如戻ってきたふぇんりる氏により予告なく第28回執筆コンテストが開催される。エクストリームスポーツの根源に至る戦いに脱落者が相次ぎ最終的に残ったのは7人だけであった。
- 1月下旬 - なんやかんやで18000項目達成。
- 2月16日 - 第2回UCP48総選挙の投票の末、センターを勝ち取ったのは人間ではなくリスであるという衝撃的な結果となった。
- 2月23日~2月25日 - アンサイクロペディア.comとアンサイクロペディア.biz以外のすべてのドメインで一斉に不具合が発生。鯖落ちの他に、利用者間での憑依が確認された。
- 2月23日 - 第29回執筆コンテストが開催される。お題「レトロゲーム」に困惑する平成世代を尻目に、懐かしのゲーム談義に花を咲かせる昭和世代が大量発生。
- 4月28日 - ぽんこつやろー氏がのびた君を卒業し、管理者に就任。
- 6月23日 - アンサイクロペディア夏の修正祭開催。問題記事がずらっと並べられた縁日は浴衣姿のアンサイクロペディアンで賑わった。
- 6月27日 - ありそうでなかった記事執筆相談所が開設される。
- 9月27日 - Hresvelgr氏がのびた君を卒業し、管理者に就任。
- 10月17日 - 第30回執筆コンテストが開催される。女子力を謳いながらその実態はネカマたちの祭典であった。
- 10月26日 - 国産みよりも古くから存在していた記事オダ幕府が、激しい議論の結果削除される。数日後には別の記事も削除となり、神話の時代はますます遠くなった。
- 12月26日 - SHINJI氏、2013年11月22日から1年の修行期間を経て正式にCUに就任。
2015年
- 1月9日 - 宗教をテーマに第31回執筆コンテストが開催される。
- 3月26日 - なぜかこれまで誰も気にしていなかった版指定削除の方針が、正式にリリースされる。
- 5月1日 - でみ庵氏、BCに就任。
- 5月23日 - 突如第32回執筆コンテストが開催される。5年の時を経て舞台はアンディクショナリー。
- 7月28日 - Peacementhol氏がのびたくん修行を終えて管理者に就任し、久しぶりにアンサイクロペディアを訪れた利用者たちが腰を抜かしたとか。
- 8月14日 - Carlbたんが珍しく働く。そのおかげでMediawikiが1.20alphaから1.25.2にアップグレードされウィキペディアの見た目に近づいた。その後もメンテナンスが続き新機能が色々追加される。お盆の期間を狙ったのはわざとなのか。
- 12月2日 - 2015年流行記事コンテストがでみ庵氏により開催される。
2016年
- 1月9日 - 2015年流行記事コンテストが決定される。優勝は「ほしいものリスト」という単純なダジャレの記事となった。
- 1月12日 - 2015年十大バ科ニュースを決める投票がまたもやでみ庵氏により開催される。優勝記事は「UnNews:今年の漢字は「あ」」となり、執筆者は自分自身で開いた大会で優勝をするという結果になった。
- 1月30日 - 第3回UCP48総選挙がEkusuto1氏により開催される。結果としてでみ庵氏がセンターの座を得た。なお、主催者が一票も得られないという珍事により、惜しくも48人には一人届かなかった。
- 2月9日 - 第33回執筆コンテストがBCD氏により開催される。ジョージ・ハリスンを出展したNana-shi氏が通算8度目の優勝を成し遂げた。
- 4月中旬 - 19500項目達成。
- 4月18日 - 利用者:文鉄1999氏により第1回加筆・全面改稿コンテストが開催される。
- 5月25日 - 「国産み」から10周年を迎えたが誰も気にしない。
- 7月20日 - 「赤リンク撲滅」を旗印に第35回執筆コンテストが開催される。大量絶滅を執筆した利用者:くぎり氏が優勝。
- 12月13日 - 「文系記事」というテーマで第36回執筆コンテストが開催された。有島武郎の記事を執筆した利用者:Nana-shi氏が競り勝って優勝となった。
2017年
- 1月10日 - 2016年流行記事コンテストが決定される。優勝は第35回執筆コンテストの栄誉にも輝いている大量絶滅となった。
- 1月10日 - 前回優勝者のでみ庵氏が音頭を取り、2016年十大バ科ニュースを決める投票が行われる。優勝は5-2=さんによる俺選手(28)、お年玉2万2000円を保留と相成った。
- 2月25日 - 何の因果か、セキュリティの問題点が指摘される。ログインユーザーが慌てたり慌てなかったりしたが、とりあえず気を付けるに越したことはない。
- 3月17日 - とっさの一言テンプレート一掃キャンペーンを執り行うべく、誰か氏が発議。
- 4月1日 - 上記一掃作戦第一弾「{{アッー!}}」一掃キャンペーン開始。予想外の数に皆が及び腰になるなか、誰か氏率いる勇敢なユーザー達が大鉈を振るう。
- 5月9日 - 匿名化サービス遮断の提案が為される。
- 5月18日 - 旧管理者Muttley氏が、管理者不足を憂えるSHINJI氏によりのびた君に任命される。卒業予定はお盆辺り。
- 7月1日 - {{アッー!}}狩りがめでたく終了。みなさんお疲れ様でした。
- 7月1日 - 第37回執筆コンテストエントリー開始。今回は記事名に縛りを入れるというエンタメ性を取り入れた斬新なコンテストに。
- 7月17日 - 不正アクセス防止の為、ホスティングサービス等利用者の方へ申請コーナーが設置されました。
- 8月12日 - 掃討作戦第二弾「{{禁則事項}}」殲滅計画発動。圧倒的な物量の前に苦戦が予想される。と言うか石を投げれば当たるレベルで使われているテンプレートを一掃出来るんだろうか。
- 8月18日 - Muttley氏がのびた君を卒業しめでたく正管理者に就任。超人的な速度で靴下や荒らし等への対策を打ち出す敏腕ぶり。
- 8月20日 - 執筆者が若干名消息不明になったものの、第37回執筆コンテストの結果が発表される。優勝はくぎり氏の細胞でした。
- 10月16日 - 管理者が10名になる。
- 10月25日 - 約七年ぶりに新ポータル建立。集え、理系人間。
- 11月3日 - 掃討作戦中間報告が出される。順調ではあるがピーク時は2,308あったらしいので、中々減らないのが現状。
- 12月23日 - 掃討作戦第二次中間報告が出される。総数1,252、利用者ページ等を除くと1,018との事。
2018年
- 1月9日 - 2017年流行記事大賞が決定される。優勝はBCD氏の「プレミアムフライデー」でした。
- 2月14日 - バレンタインデーとは関係なく、2017年十大バ科ニュースが決定。一位はりけっと氏投稿の「16歳少女 (51) 線路に侵入して写真を撮影、ブログに掲載し炎上」。
- 2月22日 - 猫の日のため、アンサイクロペディアは暫くの間、てんやわんやの大騒ぎになる。
- 4月14日 - 正管理者へ再選し約半年、その獅子奮迅な活躍ぶりからMuttley氏が助役CUへと抜擢されることに。
- 4月30日 - とっさの一言一掃キャンペーン第二弾、{{禁則事項}}総滅作戦が堂々の完結。翌日より{{Nice boat.}}狩り開始。
- 5月7日 - とっさの一言一掃キャンペーン第三弾、{{Nice boat.}}狩りがわずか7日間という速さで終了。尚、手動で泥臭く努力するからこそ素晴らしいのであって、別ウィキのように文字列置換拡張機能を使えば一瞬で狩れるなどと言ってはいけない。そんなのは米帝の発想であって日本人の発想ではない。
- 6月19日 - まさかまさかの20000項目達成。記念すべき20000番目の記事は「10の倍数」という自己言及記事であった。
- 7月22日以降 - やっと20000項目を達成したのも束の間、今度は不具合により新規記事投稿が出来なくなる。
- 7月末 - いつの間にかフォークされ、早速LTAにより管理者数名が成り済まされていたが、誰も気にしなかった。
- 8月15日 - サーバーが復活し、新規記事投稿が出来るようになった。
- 10月21日 - POLM姐さん発案、利用者ページ人気投票の結果が発表される。
- 10月25日 - 記憶分裂症が発生。また記憶喪失になる可能性が。記憶喪失属性はしっかり記憶されている模様。
- 10月末日 - MediaWikiがアップグレードされました。それもあってアンサイでは、渋谷のハロウィンにも似た大騒ぎが繰り広げられた。
- 11月22日 - 第38回執筆コンテスト開幕。
- 12月18日 - とっさの一言一掃キャンペーン完結。
2019年
- 1月7日 - 2018年流行記事大賞発表。大賞は得票こそ同数だったものの作成日時の差でポプテピピック、金賞がマングース (どうしようもない記事)と相成りました。
- 1月27日 - 行方不明者が大量に出るも、第38回執筆コンテストが堂々閉幕。優勝作品は88さんによる桜吹雪でした。
- 2月18日 - 2018年の十大バ科ニュースが決定され、同率一位が二本という変わった事態に。
- 4月30日 - Carlb大帝によってアンデータが開設される。日本語版にて、ウソペディアが関連プロジェクトとして、明記される。
- 8月6日 - ごく小規模の記憶喪失が起きるが、即座に修正される。また同日、Carlb神が日本語版アンサイクロペディアの管理者として復職した。
- 12月27日 - アンサイクロペディアの発展に多大なる貢献をした重鎮、でみ庵氏が置き手紙を書き上げ引退を電撃発表。これにより管理者が11人に減る。
2020年
- 1月4日 - 2019年流行記事大賞発表。大賞は高輪ゲートウェイ駅となった。この年は異例にも銀賞までしか選ばれないという、投票数が著しく低下した年となった。
- 2月1日 - 管理者休職規定に基づき、Sts氏が休職に入ることに。
- 2月9日 - ただでさえ不足していた正CUの穴を埋める為、助役CUだったMuttley氏が正CUに推薦される。また、同じく不足していたBCの穴も埋めるべくBCにも推薦される。
- 2月29日 - セブン&アイホールディングスが、エクストリーム・謝罪2019年度王者となる。今、栄冠は君に輝く。
- 3月1日 - 前日までの投票が終わり、全会一致でMuttley氏が正CU&BCにダブル就任。
- 5月18日 - Carlb神降臨。その凄まじいパワーで、色んなものが剥がれたり死者が甦ったり歴史が巻き戻ったりと大騒ぎになる。
- 5月19日 - Muttley氏に4度目の管理者不信任動議が提出されるが、起案者が面倒くさがったのか適当な判断が出ず閉幕となった。
- 6月5日 - 昨年の一般記事総投稿数「77」が、まだ6月だというのに早くも越えられてしまった。今年78番目の記事はStay Homeでした。
- 6月10日 - 一連の騒動の後始末をつけるためにCarlb神の手によってPeacementhol氏にBC権限が付与される。同氏ののびたギブアップから13年後、とうとうピースの時代到来か。
- 6月17日 - .旻氏とmicch氏がのびた君に。
- 9月17日 - .旻氏とmicch氏がのびた卒業。micch氏はアカウント作成から管理者就任まで10年超という最遅記録を樹立。
- 11月17日 - なんとなくMediawikiがアップグレードされ、利用者が揃いも揃っててんやわんやになる。
2021年
- 1月4日 - 2020年流行記事大賞発表。大賞はソーシャルディスタンス。鉄槌後に新規記事作成ペースと投票数が少し回復したことを受けて銅賞・次点も選出された。
- 1月5日 - 2020年末に作成されたバイキングが突如大拡散。「記事を読もうとして酔った」という報告がTwitterやはてブ等で多数観測された。
- 1月19日 - コメント依頼制度が導入される。
- 1月25日 - 週刊少年ジャンプで北条時行を題材にした『逃げ上手の若君』が連載開始。これを受けて俄に注目を浴びたウィキペディアの北条時行の記事がアンサイクロペディアからの転載で成り立っていたことが判明し、ウィキペディア側が大騒ぎになる。
- 2月28日 - 釘宮病の蔓延が終息したと報じられる。
- 3月 - 元素ブーム到来。特別:新しいページの各種(ネオ元素を含む)元素含有量が大きく増加した。
- 5月29日 - 記事数が21,000記事を突破するも、削除主義者たちが既存記事に大量の{{Fix}}を貼っていたため、削除祭りが開催され、21,000記事を割り込んだ。その後も新記事と削除記事がせめぎ合い、本格的に21,000記事を回復したのは7月13日のことである。
- 7月25日 - 史上初の他サイトとの合同開催となった第39回執筆コンテストが閉幕。団体部門優勝はウソペディアチーム、個人部門優勝はSlime syndrome氏のIwaraでした。
- 8月2日 - シュヴァルツ氏がのびた君を卒業し正管理者に就任。
- 9月1日 - 前回から5年半ぶりとなる第6回UCP利用者人気投票が終了。まさかの主催者が1位という結果に。
- 9月18日 - 節目となる第40回執筆コンテストが閉幕。88氏がNHKマイルカップで第38回以来2回目の優勝。
2022年
- 1月8日 - 2021年流行記事大賞発表。大賞は昨年もっとも話題になった記事であるバイキングが受賞。
- 1月24日 - 第41回執筆コンテストが閉幕。1月3日とツッコミの同時優勝となった。
- 2月4日~5月28日 - 9年ぶりにアンディクショナリーの仕分けが行われる。第2回目までは存在しなかったアルファベット別の仕分けをどう行うかが注目されたが、「出来てから1年しか経ってないから仕分け対象外」という怠惰な方針を主催者が打ち出したことで回避された。
- 6月1日 - 誰からも忘れ去られていた誤報コンテストが久しぶりに開催される。この期間、誤報だらけのネットニュースに対して元祖は俺たちだと言わんばかりに誤報の嵐が飛び交った。
- 6月12日 - 削除主義者のRotoryu氏が、アンサイクロペディアの記事を古い順から10,000記事をチェックし終える。削除主義者もここまで来ると廃人である。
- 11月30日 - 第43回執筆コンテストでLeo219氏が一位と二位を同時に獲得。
2023年
- 1月7日 - 2022年流行記事大賞発表。大賞は2022年で最も話題となった時事ネタの一つである安倍晋三銃撃事件。
- 2月20日~4月1日 - 一石二鳥=一石一鳥氏が前人未到の41日間連続新記事投稿(削除記事なし)を達成する。
- 3月12日 - 唐突に第7回UCP利用者人気投票が開催される。アンサイクロペディア再興の足掛かりとなるか。1位になったのは、毎日投稿と期間が重なった一石二鳥=一石一鳥氏。
- 5月~11月 - 秀逸な記事推薦、除去ラッシュが発生。新時代の幕開けか。
- 7月14日 - 22,000項目達成。
- 7月14日 - Forum:メッセージテンプレート一掃作戦が完了。半分以上のメッセージテンプレートが廃止された。
- 7月22日 - 第44回執筆コンテストが約3ヶ月の期間を経て閉幕。優勝は王の部下の知り合いのひ孫の友人氏が3ヶ月前に出展したユートピアと主催者に強烈な皮肉をたたきつける結果に。
- 8月某日 - いつの間にか勝手にフォークされていたMiraheze版が廃墟化して削除されたが、やはり誰も気にしなかった。
- 11月13日 - 22,222項目達成。
- 12月11日 - 第45回執筆コンテストが20記事という近年稀にみるエントリー数を記録しつつ閉幕。総合第1位は「パクチー」を執筆されたGanohr氏。
- 12月8日~12日 懐かしい名前がチラホラと見えてきた2023年、出戻り組((あ)氏及びフィクミア氏)が管理者に立候補。老害の逆襲、震える新人。待て、続報。
2024年
- 1月6日 - 2023年流行記事大賞発表。大賞は並み居る上質な時事ネタ記事たちをを僅差で上回ったビッグモーターが勝ち取った。
- 2月13日 - 十大バ科ニュースの選出が五年ぶりに行われる。令和初の栄冠を手にしたのはNanigasi氏のUnNews:「たぶんやってくれる」明日の俺を激励とUltraEgg氏のUnNews:きのこの山、たけのこの里に無条件降伏でした。
- 3月1日 - 2023年のエクストリーム・謝罪の結果が発表。ジャニーズ事務所とのデッドヒートを制したビッグモーターが野々村竜太郎以来の流行記事大賞とエクストリーム・謝罪の二冠を達成。
- 3月2日 - Xで「盥回し」の記事がそこそこバズり、鯖が貧弱であることなぞ微塵も知らずに馬鹿みたいにX民が大量にアンサイクロペディアにアクセスしたせいで、ほぼ一日アクセスができない状態に。翌3月3日AM10時にはおおよそ復旧した模様。
- 3月23日 - 前回の記事数を上回る26記事が出品された第46回執筆コンテストが閉幕。熾烈な争いを制したのは、鮫 (映画)を執筆した突撃ひとり氏と作家は経験したことしか書けないを執筆した(あ)氏。ベテラン二人の同時優勝となった。
- 4月22日 - 辺境の土地の方言なんて誰にも分からんだろと一文字の乱が勃発。お祭り騒ぎが数日続いたが、文字数を増やすことで終結した。
- 6月30日 - 自称アカウント取得から二か月ほどのユーザーが第47回執筆コンテストを開催したが、期間中に靴下であることがバレてしまう。コミュニティは史上初の靴下アカウントによるコンテスト開催[1]という栄誉を取るか、16年前の黒歴史を蘇らせるかの究極の二択を迫られるが、結局後者を選択。アンサイクロペディアの歴史にまた新たな
黒歴史伝説が生まれた。 - 8月15日 - 23,000項目達成。
注釈
関連項目
流行記事大賞 金賞受賞記事
この記事は2009年流行記事大賞にて金賞を受賞しました。 |