誰得
誰得(だれとく)とは、「誰が得をするのか、いや、誰も得をしない」という反語の意味を含む形容動詞、あるいはそこから反語の意味を除いた疑問詞である。
歴史[編集]
「誰得」という言葉の歴史は古く、およそ先土器時代にまでさかのぼる。自然の脅威に振り回されることが非常に多かった人間は、他の仲間と協力して、天災や飢餓等の人間にとって誰得な状況に対して立ち向かう必要があった。そのため、何が集団にとって誰得な存在である事を確認しあう意味で、「誰得」という言葉や概念に重要な意味を込めてこれを用いるようになった。
人間が農耕を始めると、占いという特殊技能を持っていると自称しているが、不作や飢餓といった問題には何も対処できないという誰得な強い者が暴力や迫害、洗脳などといった方法で弱い者を従えるようになる。このとき、強い者にとって弱い者は「占いの知識も持たぬくせに反乱をやらかそうとする」ので誰得な存在だったし、逆に弱い者にとって強い者は「ちっとも農耕が出来ないくせに威張り散らしている」のでこれもまた誰得な存在だった。このようにして強い者と弱い者の間には格差が生まれていった。これを「誰得観の差」と言う。
やがて6世紀になると、日本では仏教と神道のどちらを国内に普及させるかで蘇我氏と物部氏とが対立した。でも神道の場合はローカルの人々しか知らない誰得な神々が多すぎたため、直に物部氏の神道派は却下となり、以後「日本の得は俺の得」とか言いながら蘇我氏が大和の政治の舞台にどんどんしゃしゃり出る様になっていった。
また、絶対王政下のヨーロッパでは、下層階級にとって何の意味も持たない戦争が王によって勝手に行われていた。農民や市民等の階級がその戦争について「誰得」というと、王は「朕は得なり」と言い、ここで「俺得(誰も得をしないかもしれないが、俺は少なくとも得をしている)」という概念が生まれた。しかし、これを聞いた下層階級はぶち切れてバスティーユ牢獄に押しかけた。これがフランス革命であった。
14世紀末のワットタイラーの乱という農民一揆においても、ジョン・ボールは「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰が得であったか」と呼びかけ農民を奮起させた。
解説[編集]
ちなみにこの記事も誰得な記事である。
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