現代っ子

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現代っ子(ヒュンダイっこ)とは、過去を振り返らず現代(いま)のみを生き、潜在的に身分相応というものを知った、携帯電話PCという最先端テクノロジーの粋を身分相応に使える青少年たちのことである。

っていうか、俺みたいにー、チョーー個性的なやつはぁー、既存の枠に収まんないわけよ。っていうか伝説だから、俺。
現代っ子 について、匿名・現代っ子男性
べつに将来なんてなるようになるんだしー。今楽しんだほうがいいじゃん。
現代っ子 について、匿名・現代っ子女性
脳みそ溶けてんじゃねーのか
現代っ子 について、音無芽留

概要[編集]

現代っ子とは「世界でもっとも成功した社会主義国」のの上の人たちとその取り巻きが、来るべき未来を苦慮した結果実行されたプログラムによる輝かしい成果である。このプログラムに対し極度の偏見を持ったどこかの文化人が、このプログラムによる結果を「一億全白痴化」という言葉で形容した。しかしこのプログラムによって高度経済成長の波で国民全員が過度の学問にしばりつけられている当時の現状から「人間らしさ」や「自由」や「ひとりひとりの個性」を尊重・創造する機会を国民全員に与えたというのが、実態である。

特徴[編集]

一つは「数字」を変動させることである。子供は大人以上に周囲の影響を受けやすく何かのきっかけにより大人以上に過敏に反応し、結果として大きな数字となる。これは政府・企業・報道機関が用意する事象(ワールドカップ・オリンピック・話題のものやアニメ)などで顕著な傾向である。これは「課題に対してきちんと答えてくれる」という律儀さを現代っ子が持っているという証拠である。現代っ子達は「自分達が自主的に行った行動で世の中が変わった」という、従属感充足感を得ており、双方が効用を得ているため(いわゆるパレート効率性)、よい結果であると捉えられる。

二つ目がパソコン等に強いことである。これはすべての人々がExcelやAccessやPowerPointが十分に活用できるということではない。あくまで個人が必要なだけの操作ができるということである。自由を謳歌する彼らにとって、小難しいことは原則不要であるからだ。また、彼らに関心のないものを押し付けるのは人道的とはいえない。

三つ目は単為生殖が可能な事である。これにより、現代っ子は恋愛の縛りから解放され、趣味に没頭、旧人類を遥かにしのぐ生産性を手に入れる事が出来た。

現代っ子の傾向[編集]

政治[編集]

現代っ子は政治に対して無関心の事が多い。

これは国民に過度の負担をかけないための配慮の結果である。趣味・自分探し暇つぶし・他愛のない談笑などで常に忙しい人々は、常に自分自身が背負った課題に対し必死である。これ以上の負担を彼らにかけるのは人道に外れたことである。

経済[編集]

現代っ子は、経済において独特な行動をする。 現代っ子は収入により支出を決めるのでなく、支出により収入を決める。

人間は一回きりの人生を謳歌するのであるのだから「自由」は当然尊重すべきものである。自由権日本国憲法に示されているとおり、これは重要なことである。 それに関して現在の政府は現代っ子政府である。 近年は大人も同じ傾向を示す事から現代っ子特有ではなく現代人特有のものだという意見もある。

芸能[編集]

芸能人[編集]

気難しそうな男性たちの顔を眺めるよりは、面白みのあることを言う人々や美男美女を眺めていたほうが、誰もがよいと考えるだろう。また、こういったマスメディアに出る人々は自分達の知っている言葉を話すほうがよいに決まっている。よって、現代っ子の語彙力相応の(もしくはそれ以下の)言葉を話す人々を多く露出させるのは、当然の結果である。

事件[編集]

前述したとおり、人々はそれぞれの「自由」を謳歌するためにとてつもなく忙しい。そのため難解な語句・専門用語が多数使用される報道をすれば、彼らはそれらの言葉を知る必要があり、それは教育という形でフィードバックされ、幼少期から彼らの「独自の個性」を失わせる危険性がある。

そのためわかりやすい凶悪事件・ゴシップ記事を報道の題材とするように各報道機関は「人道にのっとった」配慮しているのである。

そのため航空機の墜落等の報道のような事実性のみを伝えるものは報道がされなくなる傾向が高まる。

TV番組[編集]

NHKの現代っ子大集合や現代っ子の料理、現代っ子教育委員会など数々の有名番組が有る。

大人[編集]

現代っ子における「大人」とは、幼少時とかわらぬ自身の個性を十分に発揮し自由を謳歌する人々のことである。彼らは自分たちの個性を一番尊重し、他人からの意見に対しては断固否定できる強い勇気と意思の持ち主である。また、理由をつけることが得意であり、そこから彼らの論理力・自身の自由を謳歌する姿勢が伺える(この行動は彼らが他人からの非難をあびたときに顕著に現れる)。


関連項目[編集]