渋沢栄一
渋沢栄一(しぶさわえいいち)は、「日本資本主義の父」と称される日本資本主義の敵。
概要[編集]
江戸時代末期から昭和時代初期を生きた実業家。現代のみずほ銀行や東京ガス、帝国ホテルなど400を超える企業の創立・経営に関わった実績から、日本の資本主義に大きな影響を与えた「父」とも呼べる存在として評価されている。
一方で本人は資本主義に興味はないらしく、寧ろ資本主義の考え方の逆を行くような行動が多く見られる。その証拠に彼は自らの思想・行動に「資本主義」という言葉を当て嵌めた事は一度も無いとされ、言わば資本主義の敵のような立ち位置にいる。
社会事業[編集]
渋沢栄一は確かに400を超える企業を創立したが、それを上回る約600の社会事業に関わっている。数だけでなく、取り組んだ期間についても社会事業の方が勝っており、ここから彼がどちらに重きを置いたかを推察する事ができる。彼が携わった社会事業には例えば東京都健康長寿医療センターや日本赤十字社などがあるが、これらの例から分かるように社会事業は資本主義の中核である「金儲け」から離れた「社会貢献」を本質とする。「個人が資本を基に商売をし、利益を得る事」をよしとする「資本主義」に対立する、「公益を増進する事」を目的とする「社会事業」に熱心だった渋沢栄一は、資本主義に対立しているという意味で「敵」と呼んでも過言ではない存在なのである。
合本主義[編集]
また渋沢栄一はその企業経営に於いても資本主義と対立する思想を持っていた。それは「合本主義」であり、合本主義は「公益を追求するという使命や目的のために人材と資本を使って事業を行う考え方」と説明される。この合本主義で重要なのは「あくまで事業の目的は公益の追及にある」という点だ。合本主義に基づく限り、「己の金銭欲に任せて儲けのために事業を行って私財を蓄える」という資本主義的な考えは否定され、逆に社会に利益を齎す事が何よりも優先される。渋沢栄一は合本主義の考え方を持っていたため、儲ける事に対しての執着がなく、給料はほぼ現みずほ銀行からのものしか受け取らなかったという。資本主義に染まり、金儲けに固執した岩崎弥太郎などの同時代の富豪に対して、渋沢栄一が一種の嫌悪感を抱いていたとしてもおかしくはない。
日本資本主義の父[編集]
渋沢栄一は「論語と算盤」という本を書くほどに論語に影響を受けた人物である。そしてその論語には以下のような事が書かれている。
父は子の為に隠し、子は父の為に隠す
訳: 父は子の悪事を庇い隠し、子は父の悪事を庇い隠す
前述のように渋沢栄一は資本主義の敵である。しかしながら「渋沢栄一が道徳を重視する経営理念によって本来資本主義的なはずの経営行為を合本主義で覆い隠し、金儲けの卑しさを消した」事と「他の実業家と比べれば少ないものの一般庶民と比べれば恵まれた収入が、渋沢栄一の浮気癖を誤魔化して相手に許させた」事を鑑みると、渋沢栄一と資本主義の間に一種の親子関係のようなものが成立していたとする考え方も否定できないという事もまた事実だ。