無駄遣い

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無駄遣い(むだづか-、loss、idling)とは、人生を豊かにするエッセンスである。

哲学的な話[編集]

そもそも無駄(むだ、loss)という一見するとネガティブな語感から「無駄遣い=悪=即=斬ッ!」という安直な意見が多く見られるが、果たして本当に無駄は無益むしろ有害なのであろうか。荘子(そうじ、紀元前369年-紀元前286年)はその言行録『荘子』において「無為の為(むい-い)」を提唱しており、その中で「(恵子、けいし。荘子の論敵にしてマブダチ)はあれを無駄と言っているが、それは本当に無駄なのであろうか。君の立っている地面を例に喩えて説くなら現在、君が必要としているは君の足が乗っている部分だけであり、その他の土はすべて無駄と言えるだろうか。周り土がなかったら、君はそこに立ち続けていることが可能であろうか」という逸話を残している。以上の証明から、この世界無駄でない(有為)という概念は無駄なもの(無為)の概念が存在するという前提をもって初めて成立することを示しており、この世界におけるあらゆる形の変化(それを便宜上「使う、遣う」とする)はすべて無駄遣いでありるとともに、あながち無駄遣いでない、どこかしらで何らかの役に立っている(のかも知れない)という因果律の輪に収束されるのである。

現実的な話[編集]

しかし、そうは言っても実際のところ人生は有限であり、あまり回りくどい事ばかりも言っていられないのがこの世界における現実である。より効率的に、平たく言ってしまえば「いちいち彼女の奮発した勝負下着を褒めてあげたり、それをやさしく脱がせてあげたり、心温まる愛の言葉をそっと囁いたり、しっとりと全身を愛撫してあげたり、丁寧にしっぽりと挿(い)れたり抜いたり……」よりも「もういいから手っ取り早くやらせろよ」というのが昨今の風潮であり、それが日本社会および日本人の精神土壌を殺伐とさせている元凶ともなっている[要出典]のだが、諺(ことわざ)に「背に腹は代えられぬ」とあるように「衣食足りずして礼節なんぞ知った事か!」と言うのが人々の本音である。

松岡修造的な話[編集]

大丈夫、大丈夫! お前がやってきたことは、絶対無駄になんかならないって! いままでこれだけ努力してきたんだろ? 努力を続けていれば、必ず成果は出る! 面白い記事も書けるようになる! もっと自分に自信を持てよ!

無駄遣いの一覧[編集]

事業仕分け[編集]

無駄のない蓮舫お姉ちゃん
どうして1番じゃなくちゃダメなんですか! 2番じゃダメなんですか!
無駄遣い について、蓮舫

2009年11月に実施された旧政権の支援団体粛清事業仕分けにおいて「無駄遣いの一掃」の名の下に振り下ろされた財政緊縮の大ナタであるが、これも要するに「目先の利益が出せない事業に関してはバッサリと予算(投資)を削減する」という短絡的な経済観念による応急処置あるいは人気取りのパフォーマンスに過ぎず、教育や福祉、技術開発などのいわゆる「国家百年の計」について国家が取り組まないことの将来的な影響を考えないことの弊害もまた、どうせ一朝一夕には表れてこないから、そんなこと誰も気にしないだろうとでも思っているのかも知れない。そこまで国民はバカではないが、それを口にしたらどうなるかはお察し下さい

仕分けによって廃止されたもの及び廃止してほしいもの[編集]

結論[編集]

だからねママ、一見すると単なる無駄遣いに見えるかも知れないけど、これはこれでお金の使い方を学んだり、お金の大切さを肌で感じ取ったりするために必要な成長の一過程、いわば教育の一環なんだから、僕が買ってきた(大人の)おもちゃとか(ちょっぴりエッチな)ご本について、あれこれ言うのはやめてよね。

関連項目[編集]

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