流山市

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流山市(ながれやまし)は、千葉県北西部に所在する、鉄道拠点を逃して悔やんでいた都市である。

概要[編集]

東京の都心から30km圏内でありながら、富な自然に恵まれた田舎である。鎌倉開府前には、中村の馬追い祭りでおなじみ相馬家の本拠地であった[1]。相馬家は中村に移る前には小高にいたが、小高に移る前にはこの流山を本拠地にしていた。

鉄オタの間では、流山も中村も、1890年代に鉄道を通す際に、鉄道施設を近隣都市に強請られた都市としても有名である。中村は原町に機関庫を強請られ[2]、流山は松戸と柏に常磐線自体を強請られた。

このため、長らく交通手段が流鉄流山線のみとなり、中村は元より、近くの東京からのアクセスが非常に悪く、こち亀度井仲村のモデルにされる等、その存在が疑われるほどであったが、つくばエクスプレスが開業したことで近年調子に乗っている急速な発展を続けている。つくばエクスプレスの開業により牛車で2昼夜かかっていた都心へのアクセスが容易になり、開発が進んでいる。

しかし開発の影響により、自然破壊が進んでいる。天然記念物のオオタカが生息することからおおたかの森と名付けられた森は、もはや林かどうかも危うくなっており、市では植林活動への参加を市民に呼びかけている。でもそれって検閲により削除

市の財政は長らく債務超過状態に陥っていたが、市役所応接室のじゅうたんに空いた穴をソファで隠す自販機のコイン返却口をくまなくチェックする等の涙ぐましい努力により、回復基調を見せつつある。

経済[編集]

松戸野田[3]といった列強に取り囲まれており、地元商業エリアは発展の余地すら無い状態である。

…と思われていたが、最近では大型スーパーが進出したおおたかの森駅周辺を中心に異常なまでの発展を遂げている。 ただし、ここも例にもれず地元商店街がお察しくださいな状態になっていることや、周辺の森林がバキューン!!されていることはもはや誰も気にしない

しかしながら、おおたかの森駅周辺以外の地域はほとんど変化がない。逆に取り残されたことが幸いし、商品陳列棚にレアな逸品が眠っていることがある。

新選組[編集]

流山は新選組局長の近藤勇が新政府軍に捕縛された地として、新選組マニアの間では知らぬ人はいない。流山が日本の歴史の檜舞台に登場するほぼ唯一の出来事である。流山で捕縛された近藤は「私の名前は大久保大和であり、近藤勇ではない!」と懸命にしらを切っていたが、元新選組隊士が新政府軍に従軍しており、近藤の嘘はあっさり見抜かれた。そもそも近藤は新撰組内部の決まりを定めた際に、武士道に背く者は切腹であると力説して、多くの新選組隊士を些細な理由で切腹させてきたが、その近藤の最期は何とも武士道らしからぬものになるという皮肉であった。

食文化[編集]

透明な白みりん発祥の地だけあって、何でも料理にみりんを入れる。

交通[編集]

鉄道[編集]

南流山駅は後述。

流山セントラルパーク駅は名前からしておかしい。駅周辺は住宅街とでっかい公園がある。この公園の名前は「流山運動公園」である。かつての駅名公募ではこの公園の名前が予定だったが市長が「なんか物足りない。もっと面白い駅名がいい」と発言したためこの駅名が採用された。当然だが「セントラルパーク」という公園なんて流山にはない。ニューヨークの公園とは比べ物にならないぐらい小さいがテニスコートや野球場、グラウンドなどがある。市のスポーツ複合施設でありキッコーマンアリーナというどっかの醤油工場みたいなスポーツ施設が近くにある。


流山おおたかの森駅も駅名がおかしい。当駅は頭部鉄道と乗り換えができる。利用者は南流山駅と400人しか変わらない。現在はTX線内第3位。かつては南流山の方が多かったが宅地化の影響もあり抜かした。駅前にはでっかいショッピングセンターがあり家族連れで賑わう。駅前にショッピングセンターがある事についてはお隣MAD CITYも顔負けである。

  • 東日本旅客鉄道:南流山駅は市内唯一のJRの駅である。朝はお隣の私鉄からの乗り換え客が多い。また南流山駅周辺はつくばエクスプレス開通のおかげで急速に宅地化が進み周辺は住宅地である。特に木エリア (南口から徒歩約15分程度)と西平井、鰭ヶ崎エリア (北口から約15分程度)である。南流山駅は武蔵野線が通っている。なお常磐線も市内をとっているが駅はない。というのも南柏駅から松戸方に100m程進むとすぐ流山市である。市内に常磐線は1Km程度通っているもの駅はない。そのため最も近い南柏駅(所在地は千葉県柏市南柏中央)の所在地を流山市(向小金)に変更しろと周辺住民が言ったこともある。だか当然却下。しかし2005年市民の夢と希望を乗せた、筑波急行が市内を通ったためこの騒ぎは終わった。めでたし、めでたし。

朝になると流山市民によって南柏駅の半分が占拠される。こうなっては柏市であることを物語るのは柏議会議員の演説くらいである。

道路[編集]

常磐自動車道が通っている。道路は市の大深度地下を通過しており、その存在を知る市民は少ない。インターチェンジが1箇所存在しているが、たどり着くまでには別途通行料金が必要となっている。え?そんなインターチェンジで大丈夫かって?いや、市民からすればそんなインターチェンジでもあるだけマシですわ。となり①も似たような僻地にある上、となり②なんてまず高速道路自体がない。となり③はお情けでやっと高速道路が通るらしいけど流山の方が古いもん。

その常磐自動車道も、流山から中村までは未だ開通していない。福島県庁が旧中村藩を冷遇して来たからである。富岡開通が2004年で、中村開通は東京に電気を送る核施設の爆発より後の2015年であった。

  • 宮園循環バス
    • 市内の宮園循環のバスが通るようになった。宮園民で駅まで徒歩もしくは自転車で移動していた人にとってあの心臓破りの坂(傾斜80度)は大変だっただろう。これで坂から転落する事故が激減する。運賃は一律で100円であり、女性がバスを運転している事がある。宮園はご老人共が多いから循環バスが通るようになったのか。ご老人共の我儘なのか、市長の粋な配慮なのかは謎である。セブンイレブンと、マルエツでしか宮園内で買い物はできない。朝、農園に通い採取をする毎日で、必要な物資は流山市民の特権である流山エクスプレス(各駅停車)に乗り、ざっと一週間分の物資を買いに出かける。

脚注[編集]

  1. ^ 相馬家と同じく、岩城家も、常陸府中から浜通りに転入した大名である。
  2. ^ それどころか、中村は、中村藩の遺産まで、原町に強請られている。一方で、松戸や柏は、流山の歴史遺産を強請っていない。
  3. ^ 流山にとって、柏は「仲間」(柏から見れば下僕)、松戸はライバル(の割に人口は松戸市の3分の1だが)であるが、野田や我孫子といった小物は眼中にない。

関連項目[編集]