注射
注射(ちゅうしゃ)とは、初めは患者が嫌がるが、一旦開始すれば、次第に患者の方から求められるようになる医療行為の一種。
概要[編集]
患者の体内に直接薬剤を注入する。体内への直截的な薬剤注入手段としては、座薬や浣腸、カプセル剤の投与などがあげられる。これらとの違いは、それに供する器材が独特の形状をしている点である。
器材[編集]
注射には「注射器」という器材が使われる。前述の通り、これは独特の形状をしている。円筒形の容器に小さい穴が開いており、その通路が出口に通じている。出口には針が装着されており、その針を患者の肉体に刺すことで薬剤を注入するのである。これにより、より確実に患者の体内に薬剤を注入できるとされている。しかしちょっと待って欲しい。座薬や浣腸、投薬の場合、薬剤を既に開いている穴に挿入する方法を採用している。予め開いている穴を使って体内に薬剤を注入しているため、肉体が傷つく恐れが少ない。苦痛も少なく抑えることが出来る。しかし、注射器は肉体に直接傷を付けて薬剤を注入する。ダメージを受けている人に対して更なるダメージを与える行為なのである。傷を作ることにより、傷口から細菌やウイルスが侵入し、感染症を起こして患者を死に至らしめる恐れも充分にある。何故このような行為を行うのであろうか。
注射器を使う理由[編集]
このような患者にダメージを与える処置法を実施しているのであろうか。それはひとえに患者に対する医者の優位性を証明する象徴とするためである。医者は社会的地位も高く、儲かる仕事であるように、一般では思われている。だが、医者が儲かるためには、患者が医院を訪ね、診察を受ける必要がある。入院や手術があれば、儲かるだろうという向きもあるだろう。しかし、いきなり手術を行う手筈となるのは、急患が運ばれてきた時だけである。どんなやぶ医者でも、最初に必ず診察を行うのである。そうでないと、問題の無い人をいきなり切開したり、縫ったりすることとなり、訴訟に繋がるのである。
さて、診察と、優位性の証明がどう絡むのであろうか。これは昔気質に支えられた人に多いが、「病は気から」という言葉を信じて、気力だけで、体調の不良や病気を治そうとする者がある。そのような者は「医者に頼ったら負け」と思っていることが多い。そういう考えであるため、当然医者にかかることは無い。こういった人を少しでも医者にかからせるためには、医者のありがたみを理解してもらう必要がある。そのために、注射を行うのである。では、医者のありがたみを分かってもらうための注射法について下に述べる。
効果的な注射の方法[編集]
では、患者に医者のありがたみを理解してもらう注射の仕方について述べる。結論から言ってしまうと、「痛みを感じさせないこと」がポイントとなる。注射器は痛みを伴うということを宣言しているような形状をしている。傷を付けるわけだから自然とそうなる。見た目からして明らかに痛そうな注射器で刺されたのに全く痛くないとなれば、患者は医者を賛美の目で見るのではなかろうか。これにより、イメージの転換を図れる可能性がある。では、どのようにするのだろう。簡単である。麻酔を使うのである。キシロカインなどの麻酔薬で普通に局所麻酔をかけて行ってもいい。が、それでは患者に対して「麻酔が使われている。→痛い」という連想を想起させることとなる。ではどうするのであろうか。麻薬を使い、患者を酩酊状態に置くのである。麻薬で幻覚を見せ、且つ、痛みを感じない境地に患者を持っていく。
しかし、麻薬などと言っては人聞きが悪いし、第一そんなことができるのか疑う読者もいるだろう。だが医者なのである、コカインやモルヒネのひとつやふたつ、麻酔科にお願いすれば用意してもらえるはずだ。このモルヒネを気化させて処置室に充満させる。これによりそれとなく患者に吸引させ、乱用状態にする。この間に注射を打てば、患者は「痛くないように注射を打ってくれた」と思い込むようになる。そうして肉体が快方に向かえば患者は医者を信用するに違いない。