栄村
栄村(さかえむら)は、長野県の最北端に位置し新潟県と面する過疎の村である。人口約2000人。
なお2011年3月12日にこの地で発生した最大震度6強の地震による災害は、東日本大震災の影に隠れてスルーされてしまったことが逆に話題を呼び、皮肉にも栄村の知名度向上につながったが、それについての詳しい説明は「栄村大震災」及びその関連記事に譲ることにして、当記事では普段の栄村について説明する。
概要[編集]
行政上は長野県に属しているが、位置といい気候といい自然といい文化といいもう完全に新潟、新潟の実質的な属領である。
場所はほぼ完全に新潟県であり、千曲川(=信濃川)を挟んで対岸は新潟県津南町である。一方で長野県内の隣の街は遠く離れた飯山市であるため、自然と新潟寄りになった。電気も中部電力のエリアでありながら60Hzではなく50Hzである。
「長野県」と聞いて一般的に連想するものは、りんごやぶどうといった果実類だったり、その辺に生えてる山菜を適当に漬けて作った野沢菜だったりするが、この栄村にはりんごもぶどうも野沢菜もありゃしない。あるのは、こしひかりやかんずり等…そう、つまり栄村には長野県の特産品は無いが、新潟県の特産品があるのだ。
村内を見渡せば、そこかしこに防雪シェルターや「2階部分が玄関の家」。冬には毎年最低でも3m以上の雪が積もり、過去には7m85cm降った日本屈指の豪雪地帯である。さすが新潟県中越地方と同じ条件の所だけある。ただ、豪雪については栄村よりも隣の新潟県津南町の方が有名であるため、いくらこの地に豪雪が降ったとしても、結局津南町の豪雪だけが話題になってこの村はスルー、というのが恒例である。
今の村の現状を見れば過疎化・高齢化がもう行くとこまで行ってしまったため、お世辞にも栄えているとは言えないが、名前は「栄村」である。
全国各地の地方都市の中心部にある「栄町」がかつての栄光(賑わい)はどこへやら今はシャッター通り商店街と化しているのと同じである。だがかつて(高度経済成長期前)は栄村も一応林業の村として栄えていたのである。
他の市や町に吸収合併されないで単独でいること、豪雪地帯であることを除けば、栄村はどこにでもある普通の過疎山村であるのだが、こうして記事が作成されたのはやはり「栄村大震災」の影響が大きいと言えるだろう。
産業[編集]
村の主な産業は農業と公共事業である。
前述の通り栄村は行政上は一応長野県であるが実際は新潟県同然であり、多くの人が「新潟」と聞いて思い浮かべるのがこしひかりなどの米であるように、この村の主な農産物はこしひかりである。
なお、隣接する新潟県津南町は俗に言う「魚沼産コシヒカリ」の産地であり、栄村はその津南町の川を挟んですぐ隣、いや正確には川を挟まなくても陸地で津南町とは隣接している。自然条件も津南町と同じ、栽培されている米の成分も津南町と同じである。
だが、この村で栽培される米は「魚沼産コシヒカリ」と呼ばれることは無く、呼ばれている名称はただの「長野県産こしひかり」である。そのため、隣の津南町のこしひかりと違って市場でつく価格、米の売れ行きは・・・お察し下さい。(※そもそも世間一般において"長野県"は、こしひかりやお米のイメージとは程遠いから、長野県産こしひかりは市場において不利である。)
秘境で知られる秋山郷があるが、主に観光客が訪れる場所は新潟県津南町側である。
新潟県津南町との関係[編集]
津南町とは切っても切れない関係にある。なにぶん栄村の別の地域に行くにも津南町を通らないと行くことができない。
栄村の松尾准教授[編集]
以前も「合併しない村」過疎の村として一部の市町村マニア・限界集落マニアの間では注目されていた。だが、あくまでごく一部のマニアの間であり、世間では知られていないも同然であった。
ところが長野県栄村は栄村大震災で有名になり、栄村関連の新聞記事(主にネット版の記事だが)も注目されることとなった。そこで、よく「村の識者」として登場するのが京都精華大学の松尾眞准教授(62歳、年齢は2012年現在)である(例:[1])。松尾も調査で村を訪れ始めて8年、移り住んで5年の限界集落マニアであり、過疎山村である栄村の活性化を図るべくNPO法人を設立したり村の住民にアドバイスをするなどしている。
そういった新聞記事に松尾のことが載る際、主に紹介されるプロフィールは「京都精華大学人文学部准教授、 NPO法人栄村ネットワーク理事、専門分野は農山村の暮らし・環境政策」というものである。よってこの新聞記事でプロフィールを見た者のほとんどは、松尾が若いころから大学の講師・研究生としてそういった農村の研究を常にしてきた、おとなしい、よくいるタイプの人文系の学者のような印象を受け、またそのことに何の疑問も感じずにスルーするだろう。
だが、そのプロフィールには松尾がかつて若いころマルクス主義の持ち主で革命家、武力を伴う過激な学生運動の中心的人物で、しかもその学生運動では暴動で死者まで出し、服役したことは紹介されていない。松尾は破防法で捕まり8年服役しているのである[要出典]。
補足しておくと破防法とは「破壊活動防止法」の略で、暴力主義的破壊活動を行った団体に対し適用される法律であり、よほどのことが無い限り適用されることはない。
ちなみにあのオウム真理教ですら公安に「破防法の要件を満たさない」と判断され適用されていない。つまり、この法律が適用される団体は、よほど「暴力主義的」で「破壊的」なのである。
松尾 眞の詳細なプロフィールは以下のとおりである。
松尾 眞(まつお まこと)。現・京都精華大学教授
70年安保闘争、沖縄闘争を戦った元全学連委員長で「破防法被告」、革命家。中核派。
渋谷暴動事件 1971年11月、中核派の学生らが、規制しようとした関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)の中村恒雄巡査を鉄パイプで殴打した後、大坂正明が火炎瓶を投擲。中村巡査は翌5日午後9時25分に死亡した。まだ21歳の若さだった。他3人が重傷を負った。
デモの首謀者の一人として破防法違反容疑で松尾(当時、中核派全学連委員長)、松尾を含む7人は犯人として逮捕された。
松尾はこの7人の中では比較的罪は軽いほうで懲役8年の実刑判決[要出典]で済んだが、他は無期懲役、懲役13年、さらに、殺人罪・放火・傷害罪・凶器準備集合罪・公務執行妨害容疑で今も指名手配され逃走中の者までいる(この者は大坂正明という)。
以上が松尾のプロフィールである。なお、以上のことは全て事実である。一切脚色無しである。(※実際に松尾の名前でググれば学生運動関係のページがたくさん出てくるし、中には松尾を革命家として"神"扱いしているものも多い)
その後松尾は服役を終え出所後は全学連・学生運動団体からは一切身を引いて、大学の准教授となり、しかもマルクス主義とかではなく人文系・農山村の研究者として活動することになる。(ただし、さすがにどっぷり漬かった共産主義からは抜け出せていないらしく、今でも資本主義には異議を唱える、共産主義者であるようである)
おそらく、松尾が学生運動で猛威を振るっていた頃の当時の仲間(破防法容疑で服役した6人と逃走犯の大坂、松尾と共に活動した中核派の革命家達)は、松尾が後にこういう人生を歩むとは予想もつかなかったであろう。
人生、何があるかわかったものじゃない。松尾の人生がそれを物語っているかのようである。
世の中はそんなもの 栄村はこんなもの[編集]
2012年8月30日、京都精華大学は、2008年から2010年にかけて行われた農林水産省から大学に渡された補助金に関し、不適切な受給があったとしてNPO法人「栄村ネットワーク」代表の松尾眞准教授を懲戒解雇することを発表する。
無論、栄村ネットワークに関しても不正受給の現場となっており、NPO法人の借金返済のため、架空請求を行ったなどといったシャレにならない話も存在。そら懲戒解雇も仕方ないわ、という話と、そらあ天皇皇后両陛下が栄村に訪問された際に、所用で外部に出かけているわ、という話にもなる。けれどまさかそんな2010年まで犯罪の温床となった舞台に大地震が勃発して、数少ない外部との手がかりを持つ氏が率先して復興に当たることになり、さらに栄村の復興に関する本まで出版して、国に提出する復興推進計画にもかかわり、そして天皇陛下が来村するという話が出た直後に事態が発覚して、陛下の震災見舞いから1ヶ月後に大学を懲戒解雇。
すいません。下手なドラマよりもよっぽど内容が濃くて嫌になるんですが。
が。幸いかどうかは微妙な話として、大学を解雇される際に不正に受給した補助金を国庫に返還したことから、逮捕起訴といった事態になることを氏は免れることになる。
2013年3月11日現在、松尾氏は栄村の復興のために率先して飛びまわっているはずなのだけれど、いつの間にか栄村ネットワークを通じて外部に村の復興の様子を伝える作業が中断している。ここらへんの栄村の懐の深さについて、そういえば、800年前の源平合戦の頃にも似たようなケースが存在した気がしなくもないけど、さすがに事件発覚後、いろいろあった以上は仕方がない。
けれど、世の中はまぁ、そんなものである。
あわせて、2012年9月30日に締め切られる予定だった栄村への義援金は、平成25年3月31日まで延長となり、栄村への寄付金とあわせると11億円を越え、そのうち8億6千万円が住民に配分されています。
とりあえず、栄村という場所はこういう場所なようです。
2013年2月8日[編集]
2013年2月、栄村の復興について外部に発信し続けた栄村ネットワークの更新がいきなり停止する。2月6日に近況の報告が行われた後、なんと2ヶ月以上にもわたって更新が行われなかった。が、なぜだか、どうしてだか、アンサイクロペディアのここの記事と大変に、その、なんと言うか、整合性の取れる事実が存在していたため、分かる人には分かる、でもどうしても言葉に出来ない話がそこにあった。
2013年2月8日、2012年に警視庁が行った革命軍への家宅捜査で、渋谷暴動事件で指名手配中の大坂正明容疑者が東京近郊に潜んでいるというニュースが報道され、その直後から、ホームページの更新がぱったりと停止。待ってても待ってても音沙汰がなし。
いろんな意味で心が重くなる。
幸いなことに、2013年4月27日に、ホームページが更新され、栄村の遅い春の光景とこれからの復興について、そしてご心配かけてすいませんでしたという報告が送られてくる。本当に、ほっとする。本当に。
そして村議へ
松尾氏は2016年4月19日の村議会選挙において、村議として無投票当選を果たす。ブログでの活動を含め村で一番マトモに議員活動をしている、他の議員には奮起していただきたい点である。(村議員のうち村内に情報発信をしているのは他に1名のみで、一年に四回。) 逆に言えば、大震災が起きた栄村であっても、村社会のタブー(村の議会と言うのは社交の場であり、仮面舞踏会の内容をバラす事は重大なマナー違反とされる)を踏み抜く事は容易いことでは無いと言う残念な例である。