村上市
村上市(むらかみし)とは、 新潟県の北の果てにあるであろうと、理論上その存在を予言されているまちである。研究者達はその存在を証明しようと躍起になって格闘中である。もし発見したら、ノーベル賞間違いなしと言われている。
地理[編集]
ヤクザに弱みを握られ恐喝される村なんかを抱えるのは嫌だと、関川村の合併参加は許さなかった。一方、河川敷をかすめチョメチョメさせた荒川町はなぜか合併に参加できた。
有史以前は工業の街だった。いろいろ危険なもの(よくわかってない)が地中に埋まっており、再開発が困難である。それで新店舗建設を諦めたSCがある。
村上語は、語彙、アクセント、イントネーション等が新潟県標準や庄内県標準の言語圏と大きく異なり、通訳がないと内容を理解できない。
交通[編集]
羽越本線は、2005年12月の突風で吹き飛ばされたまま、朽ち果ててしまっている。しかし、SLが黒煙をもうもうとまき散らしながら走っている。
空港がないにもかかわらず旅客機の装備品を各種製造し取りそろえており、全国発送も承っていたが、後に倉庫等が胎内市に逃亡した。
羽越本線JR村上駅が、2005年の中途半端な外装レトロ化以来、2014年3月頃にまたもや中途半端な改装を加えている。どこまでも「レトロ」を演出し、正面看板の村上驛が、態々戦前を思わす駅上村に変更されていた。いっそ木造駅舎に建て替えれば?同時に駅メロも数年振りに復活。以前のメロディーを覚えている者にとってはなんか違和感が。今は山中今は浜~♪・・・・出勤時に駅で聞かされ、帰宅時に防災無線でも聞かされる。
歴史 [編集]
鎌倉時代から戦国時代に至るまで、揚北では同族でいがみ合うことがしばしばで、争いが絶えなかったとか。しかし、本庄繁長が本庄城を築き、上杉謙信に何度も背いた。しかし他の阿賀北の大名に総スカンジナビア。そればかりか越中出陣中の謙信に、自分が送った謀反を誘う手紙まで届けられてしまった。
景勝の時代には、サルに北の庄内も領土と認められた。同地の大宝寺氏と同じく尻尾を振ってクゥウーンとなびいていた。
その後厄介者の皆さんは会津を経て米沢へ(本庄氏は福島城主になる)。
タヌキ幕府の上杉家及び出羽国監視のためなのか、ただ単に不祥事が続いたのか、それとも幕閣の気まぐれか、国替えにより、村上藩主家は度々替わっている。北隣の庄内藩主が戊辰戦争終結まで酒井家だったのとは対照的である。村上に風見鶏、こうもり、二股膏薬等が多いのはこのためである。
信濃村上氏が「本庄」から「村上」に領土名や城名を改称、永らく治める気満々だったがあえなく改易。最盛期はギギ魚の孫が村上城15万石。ようやく内藤家が5万石で入り落ち着いた。この際に皇后陛下の御実家も駿河から(異説もあり)から一緒にきた。
戊辰戦争で敗走する際、通例では城に火を掛けるところ、そんな余裕がなくてせっかく城が残ったのに、明治政府の阿呆供が木っ端微塵にしてしまった。今やお堀さえも面影がない。~♪昔の光今イズコ。♪~
戦後のちょい一時期、おろしやまの頂に天守閣が建造され、見事な勇姿を見せていたことがあった。これは突貫工事で造っており、人呼んで「一夜城」又は「ハリー・ボッテー」「仮を捨てろ!の城」「ベニヤ細工」等々。それでも村上市はメジロ御殿の雑巾がけの人から1億円を「よっしゃ、よっしゃあ」と頂戴し、村上城を復元すべく令和の御代になっても石垣の修復作業を継続中。
観光[編集]
- 瀬波温泉
- 海水浴客だけで佐渡観光客数なんかを遙かに上回る入り込みがある。旅館に泊まらなくても日帰り入浴できるし、立派な足湯も無料で利用できる。そんな中で旅館やホテルは悪行の限りを尽くして売上げを維持している。がんばってるで賞大賞特別賞。
- 村上大祭
- 7月6、 7日に行われる村上大祭は、瀬波大祭、岩船大祭と並び県下三大祭りの一つに数えられている。大祭の時に「塩引き」と呼ばれる台八車を市中引き回すのだが、しょっちゅう自動車に突っ込まれては死傷者を出したり、猫を轢き殺したりして新聞社においしいネタを提供する。猫の祟りか、必ず雨になることでも有名である。県下三大祭りが全て村上市に集中していることについてはご容赦ください。
- 鳴海(or高根)の金さん
- 上杉謙信の時代、対岸からやって来た遊び人のキムさんがうろついていた。背中の桜吹雪を披露するのがお約束。「王、王、王っ。この背中の桜吹雪が全部お見通しDィ。」
- なお、勘違いをしている人が多いが、謙信は佐渡の金さんを押さえていなかった。佐渡平定したのは養子の景勝の時代である。っていうか佐渡から多くの金を採掘するのは徳川幕府直轄になってからである。上杉家には佐渡ではなく鳴海の金さんの協力が大きかったのではあるまいかと識者の間では囁かれている。また米沢藩の「笑わない人」と「愛の人」の財源を支えたのは梁川城のある伊達市の半田銀山である(ハンダの語源)。
- 釣客
- 武士のたしなみとして江戸時代に藩が釣りを奨励していた「黒鯛釣りのメッカ」庄内から笹川流れや岩船港に多数釣行に来る。「メッカ」の人は遠征なんかしないで、ちゃんと「メッカ」で釣ってろよ!「メッカ」の方が魚影が濃くて釣れるんじゃね?
- 町屋の人形さま巡り、屏風祭り
- 期間中は「にわか町人」で狭い路地がごった返し、在来町人は「人が多くて嫌」だのいろいろ迷惑がっている。しかし、もし観光収入がなければ高齢者介護とかの行政サービスが縮減されるのをただ指を咥えて眺めているしかないのだから、手を貸さないまでももう少し理解を示すべきであろう。
- ポーラースター神林
- 在郷で寂れているので照明が少なく、日本一暗い。なのでポーラースター(北極星)観測にはうってつけである。
- 北限のお茶
- 北限だからといってそれがなにか?
- 村上堆朱
- あー!、そんなのもあったかな。
スポーツ[編集]
必ず甲子園に連れて行くって言ってたのに・・・
〜 ♡まっちゃん♡ について、朝から南
さすが元城下町、弓とか薙刀とか火縄銃とかを持ち歩いている人間がいて、何かと物騒なまちである。
鶴岡市にはないスケートパークが村上にはある。ここから五輪メダリストが(胎内市に)羽ばたいてった。どおよ!羨ましいかい? スキー場も1か所ある。生前の村上幸子がスキー場で木箱の上で歌っていた。
変な声のちっこいランナーが村上市元旦徒競走に招待選手として走ったことがある。
食文化[編集]
鮏文化[編集]
徳川時代に鮏を焼いて賞味することが武家の間で広まった。しかしながら、炭の不始末による火事が多く発生し、町人にとっては甚だ迷惑であった。鮏を「イヨボヤ」と呼ぶのは「いやボヤ」が転じたものである。
村上の海の水はしょっぱい。それは、猫たちが流した涙で満ち満ちているからである。村上は貧乏性の町人が多く、鮏の内臓や骨さえまでも料理に使ってしまう。鮏の料理をしている脇で、猫がそのおこぼれに預かろうと希望にその小さな胸を膨らませて待っていると、全て使い切ってしまうため、自分達の食い扶持がなくただ恨めしそうに眺めているだけしかないのである。
ショービキの腹は全開にしない。この例で分かるとおり、「腹を割って話し合う」ことが不得手な恥ずかしがり屋さんばかりである。また、御触れ書きにより、ショービキを首から吊り下げてはいけない。まあ、村上に限らず鮭を首からぶらさげて歩いている人にお目に掛かったことなんざないけど。
お武家様は鮏の皮で作った生臭い裃を着ており、猫を引き連れて歩いている。着込むたびに皮がしっとりと肌になじんできて、着心地抜群でありもう手放せなくなる。
また、観光客向けに鮭製品を販売している店舗で売っている製品の原料は、大体北海道産だったりする。村上の鮭製品は全て三面川で揚がった鮭だと本気で思っている観光客が気の毒である。ホンモノの村上産の鮭が欲しければ、秋頃に下度辺りの漁協事務所で破格で購入できる。お世話になったあの方への贈り物に・・・はらこや白子は抜かれていますが。
なお、以前「鮏の子」と称するヤミ金融があり、その被害者達は今もって苦しんでおり、被害者の会を結成してがんばっている。[テストに出るよ!]
岩船米[編集]
ブレンド米といえば、魚沼米がしょっちゅうマスコミを賑わしている。しかし、市場評価は少し下がるものの、実は岩船米だってその食味においては決して引けを取ってはいないのである。乱暴にも、平野部の米と山間地の米を一緒くたにして岩船米というブレンド名で出荷している。山場の農家は、「平場の米なんかうまくない。」とよく言うのだが、岩船米を美味しい、と思っているのはブランドの名声に目がくらんで購入した人の何パーセントくらいの人達なのであろうか。
村上牛[編集]
胎内市産とか関川村産だったりする。村上産であっても、B級品は栄えある「にいがた和牛」の称号を冠せられる。生産者がジジババ化し、新規就農者も少ないので、たとえ自腹であっても高額であっても食せる機会がある内に食しておくことが賢明である。世界遺産登録を目指そう、という運動があるとかないとか。
町人の社交場[編集]
- エノモト
- 原信による電撃戦、圧倒的規模を誇るジャスコやウオロクの勢力拡大により朝日店開店の直後倒産。
- パワーズフジミ
- エノモトの倒産後に市街へ進出してきたがジャスプラシャトルバスの威力の前に、いつの間にか市内から撤退していた。
- ジャスプラ
- 市内で最も栄えているのではないか?と思われる商業施設。大手スーパーのジャスコ(現イオン)が、駅前だけでは飽き足らず新規店舗を出そう!と言ってたら、そこに当時駅前に有った村上プラザが「俺らも入れさせれ」と割り込んできたという流れで、バブル崩壊直後に出来た。
- 盆・年末は市民の8割が集結する。厨房の頃、家族で居るところを同じクラスのあの子とバッタリ・・・などと、忌わしい事態を経験した市民も多い。旧市内や旧隣接町村のガキ共は、ここに友達どうしで行くと妙に大人になった気分になる。
- 鮭公園
- 名前は「鮭」公園だが鮭はいない、鯉がたくさんいる、一応サケ科のニジマスもいる。あとなんか上のほうに廃屋みたいな休憩所みたいなのがある。
- 中州公園
- 現在は中州公園とされているがその実態は旧村上藩士青砥武平治の考案による大型戦艦である。戊辰戦争までの完成を目指していたが果たせず、終戦後官軍に接収されこの戦艦を建造した技術は後の「大和」「武蔵」の建造に転用されている。
情報・通信[編集]
- USEN
- BGMの奴ではない。神林地区で行われていた、昭和の遺物的なサービス。月額1,000円位、JAかみはやしに支払うことにより、定額制の電話・放送のサービスを受けられた。
- 正式名称は「農事有線放送電話」という長たらしい名前だが、住民は皆「ゆーせん」と呪文のように言う。地元住民は全国的な「USEN」より先にこちらが思い浮かぶ。
- 1957年サービス開始、2011年までしぶとく生き残ったが、みかかの圧力によりサービス終了を余儀なくされた。
- IP告知端末
- 神林地区と朝日地区と山北地区で行われる、ヘンなパソコンみたいなのを使いテレビ電話+放送を利用できるサービス。FTTH回線の敷設権を総務省からのチョメチョメ目当てで良かれと思い導入したものだが、単純なUSENに慣れきった神林地区の住民からは「聞こえね。」「恥ずかしょてテレビ電話使えね。」「ぉらサッパリ解がらね。」などと、不満だらけのサービス。パソコンのような位置付けのキカイだが、下駄箱の上に旧型の電話機と肩を並べ置いてあるケースも少なくない。
- FTTH回線
- 上述のとおり。メインのIP告知端末は、送り手(役所)・受け手(家庭)とも、結局は古い有線放送と同じ扱いをしていたり、インターネットも光で出来るが、それもONUから先はWInXP全盛期の低速な無線LANだったり、低カテゴリのLANケーブルだったりで殆ど意味を成していない。唯一活用されいるのは、デジタルテレビの再送信くらい。でも市の4割以上がデジタル放送難視聴世帯なんだよ。
- オフトーク通信
- 合併前の旧村上市で行われていた、ハイレベルな有線放送といったもの。NTTの電話線に放送を同時に流し、電話を使ってないときに放送が聴けるといった代物。4つのチャンネルが有ったが、結局は1チャンネルしか使われていなかった気がする。気が付いたら消滅。いにしえの有線放送を使っていた隣接町村は光電話に移行し、オフトーク通信無き今では、旧村上市は隣接町村の中で一番古典的なアナログ同報システムを使う自治体に逆戻り。誰も知らないが、Yume通信とかいう洒落た愛称があった。
お山辺里おk[編集]
ア〜ン♥♥
出身者[編集]
- 本多北夷(利明)
- 「愛の人」の養子・本多政重(直江勝吉)の別流で、関ヶ原で本庄(村上)に土着した。その縁で金沢藩の江戸詰めの数学者(関流和算家)となった。前田家から通字「利」を諱に賜る。
- 北方領土や樺太どころか鬼畜露助が略奪する前にカムチャツカ半島まで併呑すべしと主張したド右翼。
縁のある主な人々[編集]
- 村上幸子
- あるいは幸薄子とも。歌手。墓に行くと代表曲が聴けます。
- 村上ショージ
- 何を言うーゥ?せなみの湯ー!!
外部リンク[編集]
関連項目[編集]
村上市は未だ発見されておりません。黒いわ・固いわ・ち○こいわ先生、よろしゅおたの申します。
※黒いわ・固いわ・ち○こいわ先生は平成24年12月16日にお隠れあそばされました。 (Portal:スタブ)