札幌市電
札幌市電(さっぽろしでん)は、札幌市(の中心部)を走る路面電車である。
概要[編集]
1909年に現在の南区から石材を輸送するために敷設され、1912年に市街地まで延長される馬車鉄道を起源とする。1918年に電化され、1927年に札幌市に買収される。その後、ササラ電車や路面ディーゼルカー、雪ミク電車といった変態特色ある車両を生み出し、現在に至る。
特色[編集]
札幌市電は豪雪地帯を走る市電であるからか、なまら(かなり)面白いことをしていたりする。特に1956年から1975年まで札幌市交通局局長(交通事業管理者)を務めていた大刀豊[1]の大暴走活躍によるところが大きい。
- 雪を道路に跳ね飛ばして線路の除雪をする
- これはササラ電車として有名である。札幌電気軌道時代の1925年から札幌の風物詩となっているが、その20年ほど前から欧米で同じようなことをしていた。
- 電車をレストランにする
- 1988年に
北海道三大黒歴史の一つであるショックの祭典世界・食の祭典の一環として、210型215号車をトラムレストランにして、キリンビールが営業していた。車体は祭典の行く末を暗示するかのように[2]真っ赤に染められ、床は310mmかさ上げされ、厨房を設置したうえにテーブルの設置などで定員を28名に減らした。この際、トイレも設置されている。筆者の知る限り路面電車では唯一トイレが設置された車両である。
大刀時代[編集]
ここでは、交通局長(交通事業管理者)を務めていた大刀豊が実行に移したアイデアを列記する。
- 道産電車
- 大型ボギー車を安価に増備し、地元企業の育成に貢献するため、古い単車
を生贄にささげの機器を流用して320形(ナニワ工機製)や330形(日立製作所製)の外見をパクリつつ200形、210形、220形、230形、240形、250形が計43両製造された。 - 親子電車
- 札幌市の人口増加に伴う輸送力増強を求められていた1960年代、ラッシュ時には親子の2両で、閑散時には親の1両だけで運行することを前提に、親のM100形、子のTc1形がそれぞれ1両製造された。親車であるM100形のみならず、国鉄札幌駅構内を乗り越える急坂対策として子車であるTc1形にもモーターを1基だけ搭載していた(ただし、子車だけでは運行できない)。しかし、いざフタを開けてみると連結と開放に時間がかかりすぎるために常時2両連結で運行されることになった。1970年に親子の縁が引きちぎられ、子は札幌市交通博物館に保存され、親だけが本線上に残り、旧塗装のまま2021年10月31日まで走り続けた。結局、ラッシュ対策としての親子電車は放棄され、「パッセンジャーフロー方式」を採用した「連結車」(世間一般で言う「連接車」)として結実する。
- 変電所の容量を稼ぐために非電化区間を作る
- 1964年に札幌市北部の麻生まで延伸する際、変電所を増強する余裕が無かったため、大刀は線路だけ敷設してそこに路面ディーゼルカーを走らせることにした。その際、ご丁寧にも非電化区間の除雪のためにササラ電車ならぬササラディーゼルカーも新製していた。しかし、3年後の1967年には全線電化されたため、電気を食わないササラディーゼルカーを除き路面ディーゼルカーはその存在意義を失い、後述の通り古い電車から電装品や台車を
強奪流用して電車として生き永らえた。 - 婦人子供専用車
- 女性と12歳以下の子供を対象とした、今でいう女性専用車両である。これは、朝夕に1便ずつしか運行されておらず、また市議会で女性議員などから「女性差別だ!」と大刀がつるし上げを喰らう程に大反発を受けたため、程なく廃止された。今では地下鉄で同じようなことをして筆者を含む男性客から反発を受けながらも運行をし続けている。
路線[編集]
現在は一条線、山鼻西線、山鼻線、都心線の4路線を運行しているが、これらは1本の路線でつながっており環状運転を行っている。
ピーク時には、北は麻生太郎麻生(あさぶ)町(札沼線新琴似駅前)、南は藻岩山のふもと、西は円山公園付近や函館本線・札沼線桑園駅前、東は定鉄豊平駅前や函館本線・千歳線苗穂駅前まで路線を伸ばしており、1964年には総延長25kmを誇った。そこには変電所の増強を後回しにして非電化区間として開通した区間も含まれており、前代未聞の路面ディーゼルカー[3]が走っていた。
しかし、モータリゼーションや札幌市営地下鉄の開業により、1971年に2回、1973年、1974年の計4回の路線縮小を経て、ついには市電全廃の方針が発表されてしまった。ところが、地下鉄も通ってない山鼻の住人に市電を諦めて地下鉄に乗ってもらうためにすすきの - 西4丁目間の300mという中途半端な距離を断絶して環状線を解消したにもかかわらず依然としてそのニーズは強く、1976年に市電全廃は撤回された。
その後、赤字経営を言い訳に環状線を断絶したまま放置していたが、さすがにたかが300m分断しているのもばかばかしいことに気付いたのか2012年に再環状線化を決定する。しかし、ここでただで起きないのが札幌市電。線路を道路の両サイドに敷設するサイドリザベーションという形で車線を潰してタクシーの客待ちを邪魔しながら線路を敷き、2015年12月20日に開通させた。新規開通区間で左折のために線路に入り込もうとした車を容赦なくホーンで蹴散らす様は圧巻である。
主な電停[編集]
- 西4丁目
- 現在の一条線の起点で、地下鉄大通駅最寄りの電停。かつてここ西4丁目交差点で、札幌駅前 - すすきの間を南北に結ぶ「西4丁目線」と直交していた。こちらの電停はほぼ同じ場所にありながら「三越前」。また、この交差点には、タワー型の信号扱所や、一条線の東行と西4丁目線の北行を結ぶ連絡線があった。
- ロープウェイ入口
- 藻岩山ロープウェイの最寄りの電停だが、500mも離れているのでご注意を。だから「入口」なのね。
- 電車事業所前
- 市電の車庫がこの電停の目の前にあり、鉄ゆかりの地である。
- すすきの
- ニッカの電飾広告がお出迎え。北海道最大の歓楽街であるすすきののど真ん中、かつ国道36号起点の真ん前にある電停。ここから西4丁目(環状化前は三越前)電停まで電車に乗ったまま短時間で行けるが、一時期は西4丁目電停まで300m歩くか、1駅だけ地下鉄に乗らねばならなくなった。ただし、再環状化の際にすすきのと西4丁目の間に「狸小路」電停が新設されたため、所要時間は電車でも徒歩でもほとんど変わりはない。最寄りのデパートは松坂屋→ヨークマツザカヤ→
スピッツの名曲ロビンソン百貨店→ススキノラフィラと激しく変遷している。
車両一覧[編集]
ここでは、札幌市電の誇る変態特色ある車両を紹介する。
- ササラ電車
- 正式名称は「ロータリーブルーム式電動除雪車」。竹製の箒(ほうき)を車両前後に設置された回転軸に取り付け、それを回して雪を跳ね飛ばし、
自家用車やタクシーへの憂さを晴らしながら軌道の除雪をする。このササラと同等のものは中華鍋を洗うブラシとしても流通しており、金物店やホームセンターなどで入手可能。 - 路面ディーゼルカー
- 路面電車と同等の車体の床下に、日野製アンダーフロアエンジンバス(初代ブルーリボン)用のディーゼルエンジンを搭載し、非電化区間で運用されていた。製造はすべて、
変態の誉れ高きユニークな製品で知られる東急車輛製造。最終的には非電化区間もすべて電化され、ディーゼルカーである意義がなくなったため、一部は古い電車から電装品を剥ぎ取って流用して電車になった。 - 親子電車
- M100形と呼ばれる車両。1960年代初頭の札幌市の人口増加に伴う輸送力増強に対する試行錯誤の象徴である。結局は使い勝手の悪さから「子」は早々にリストラされた。その後は「親」の方が単車として走り続けていたが、2021年10月31日、軌道敷内に迷い込んできたトヨタ・アクアに突っ込み廃車になってしまった。
- 道産子電車
- 200形、210形、220形、230形、240形、250形の6種類が存在する。基本的に外観は本州で作られた車両
の丸パクリがベースとなっている。1958年~61年の間に古い単車を生贄にしつつの部品を流用しつつ製造された。今もひょっとしたら戦前製の部品が使われてるかもしれない。現在は210形、220形、240形、250形の計18両が残っており、札幌市電の最大勢力である。230形は1974年に元非電化区間と共に潰された。240形241号車の中で探偵が追っ手を相手に乱闘を繰り広げ、ガラスを割る被害を出している。 - A820形、A830形、D1040形
- A820形とA830形は連接車で、D1040形は単車の路面ディーゼルカーである。330形の登場とその亜流である「道産子電車」によって確立され、そこに日本車両製造の血が交わって進化した「札幌スタイル」の集大成とも言える内外デザインで、この曲面と大きな窓へのフェチっぷりが地下鉄南北線の1000・2000形を産んだ。しかし、いずれも大きな窓の為に座席の背面を犠牲にしており、夏になると側面上部の窓しか開かないうえに直射日光が車内に容赦なく襲いかかるものだった模様。
- ところが路線縮小や非電化区間の消滅でいらない子になり、登場から10年ちょっと(D1040形に至ってはたったの7年)で全廃されてしまった。これを惜しんだ中京のスカーレットが救いの手を差し伸べ、A830形を引き取りモ870形として導入、600V線区が全廃される2005年まで使われ続けた。
- 廃車後はD1040形1両が札幌市交通博物館に保存されているほか、名鉄に渡ったモ870形も1両が
生首にされて保存されている。 - 雪ミク電車
- 札幌出身である初音ミクによって雪まつりと共に冬季限定ながらもみっくみくにされた痛電車。2011年から毎冬1両はみっくみくにしている。大体3300型の3302号車か3303号車がみっくみくにされているのは筆者の気のせいではないはず。
- LH02型、SWIMO-X
- いずれも川崎重工製で、札幌市電を走った初の超低床車両である。しかし、ただ試験のために走らせていただけに過ぎず、客を乗せることはなかった。
- ポラリス・シリウス
- 札幌市電初の超低床車両として、2013年に連接車のA1200形「ポラリス」、2018年に単車の1100形「シリウス」がそれぞれデビューした。連接車は前出のA830形以来の新車である。
注釈[編集]
- ^ 地下鉄建設の補助金を取り付ける際、大蔵省の担当者に「熊でも乗せるのか」とからかわれて「運賃さえ払えば熊でも乗せる」と返したことで知られ、地下鉄をゴムタイヤ式にし
て札幌市に大赤字を被らせた張本人。 - ^ 現に祭典の関係者1人が自殺しており、90億円の赤字で今に至るまで北海道の財政に影響を与えている。
- ^ 実は戦前に大泊市街軌道がやってたが‥ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/大泊市街軌道
関連項目[編集]
この「札幌市電」は、延伸の案が出ています。延伸して下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)