御神渡り
空澄みて 寒きひと日や みづうみの 氷の裂くる 音ひびくなり
〜 御神渡り について、赤彦
御神渡り(おみわた-)とは、神の散歩のことである。轟音と共に発生する現象であるため、騒音問題が取り沙汰されている。諏訪湖のものが有名であるので、ここでは諏訪の御神渡りについて言及する。
概要[編集]
神はもともと、娯楽を好む性質を持っている。神は砂遊びをして大山脈を作り、水遊びをして海洋を作り、そして気まぐれに人間を作ったと言われているほどだ[1]。ある日、諏訪の神はスケートを楽しみたいと思い立ち、津々浦々のスケートリンクを物色し始めた。しかしお気に召すものは見当たらず、半ば諦めていた時、なんと地元の湖、すなわち諏訪湖が絶妙な雰囲気を醸していた[2]のだ。これは運命だと言わんばかりに神はスケートを楽しみ、数日間経って満足したら帰っていった。これが最初の御神渡りで、人間が創造される遥か前の話である。そして神が人間を創造し、諏訪の地にも住み着くようになったのだが、この御神渡りを体験した人々は「五月蝿い」と口を揃えて言うのだった。神からしてみれば知ったことではない。なぜなら神は単純にスケートを楽しみたいだけなので、騒音などの問題を気にするつもりはないからだ。その有り余る神力によって氷が粉砕される、ただそれだけのことである。
ちなみに、この御神渡り現象は日本に限って見れらるものではない。例えば、ロシアのバイカル湖でも同じ現象が見られ、「トロッサ」と呼ばれている。
固有的な名称[編集]
- 初氷結
- 諏訪湖が初凍結した日を「初氷結」という。諏訪の冬はここから始まるらしい。
- 全面凍結
- 湖面が全て凍結することを「全面凍結」という。これによって神の散歩道が完成し、御神渡りがいつ起きてもおかしくない状況になる。
- 解氷日
- 諏訪湖の表面の氷が解けた日のことを「解氷日」という[3]。
- 全面氷結日
- 「全面結氷日」とは、諏訪の人々が他の湖と区別をつけるために使った尊称のようなもので、全面凍結と大した変わりはない[4]。
- 明海
- 御神渡りが出現しなかった年を「明海(あきうみ)」という。この年は諏訪の人々にとって非常に
嬉しい残念なものである。関係の無い人々にとってはとことん関係無い事情だ。
- 御神渡りが出現しなかった年を「明海(あきうみ)」という。この年は諏訪の人々にとって非常に
歴史[編集]
1443年の記録が最古のもので、建御名方神が八坂刀売神の元に散歩しに行った跡だと信じられてきた[5]。俗に「恋の通い路」と呼ばれるこの現象は約500年間にもわたって観測され続けてきたのだが、その途中で人間の杜撰な調査によるタイムラグが発生しており、正確な記録は現存しないとされている。
出現条件[編集]
地理的条件[編集]
- 湖の面積が狭すぎず、広すぎない湖が良い。小さすぎても大きすぎてもスケートリンクができないからである。
- 湖底が浅く、水質が悪い湖が理想である。氷結がよく進むらしい。
- 形がほぼ円形である湖が良い。そうでなければうまく氷が張らず、神も気乗りしないからである。
- 湖のある土地付近に、神のいる地がなければならない。当然である。
- その地に妖怪と思しき人など、オカルティックな生命体がいるのが必須。オカルトの周りにはオカルトが集まるものである。
気候条件[編集]
- 諏訪の神は暑がりなので、氷点下の気温が何日も続かなければならない。
- 晴天よりは曇天が良い。諏訪の神は日焼けを極度に嫌う傾向がある。
- 風は弱い程よい。風があったら滑りにくいのは言うまでもないからだ。
種類[編集]
通常盤の御神渡りに加え、特殊な御神渡りというものも存在する。
- 走り御神渡り
- 結氷時の御神渡りを特にこう呼ぶ。超ミニ御神渡りと呼ばれた昭和五十六年のものが有名。
- 再御神渡り
- 一年の間に二回も御神渡りが発生すること。つまり神の性欲が爆発している年はこれが発生する。
- 帰り御神渡り
- こちらも昭和五十六年のものが有名。解氷時に起きる御神渡りで、これは風の力を借りて起こるという[6]。
脚注[編集]
- ^ もちろん、子作りも欠かさない。神から生まれた子は神であるから、その子も親と同じことをする。その繰り返しで今の地球があるのだ。
- ^ 諏訪湖はあまりに条件が揃いすぎているため、神がわざわざ誂えたものではないか、とまで言われている。
- ^ 諏訪の人々にとっての立春はこれであるという。
- ^ これを諏訪の人々に言うと凄く怒られる。特に年配の人であればあるほど。
- ^ 氷の鞍状隆起がその正体であるのは言うまでもない。なお、最近は穢れた世に嫌気がさしたのか、散歩する頻度は低下しているという。しかし熱心な現地民が言うには、「建御名方神が八坂刀売神を見限った」そう。こじつけも甚だしい。
- ^ 諏訪大社の風祝は、この現象を説明するための存在かもしれない。