後醍醐天皇

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、日本史上最強の天皇。一人称は当然「朕」。神聖かつ偉大なるひよこ陛下に唯一臣下の礼をとらない無礼な人物でもある。しかし、これは陛下の許可をとっているため問題ない。

Bouncywikilogo.gif

人物概要[編集]

打倒北条への道[編集]

何が何でも天皇親政を布きたかった。なぜなら、大好きなひよこ陛下北条高時主宰の闘鶏大会でなかなか優勝しないため、天皇の権力を行使することで自動優勝させたかったからである。

しかし、後醍醐の前には北条王朝という強大な敵が立ちはだかっていた。北条王朝を率いる超権力北条氏は笠置山で叛乱を起こした後醍醐を隠岐島黒木御所に追放したが、後醍醐はすぐに脱獄してしまった。この時天皇軍全員を奮い立たせた後世に残る名言が、「朕が権力をモテないのは、どう考えても鎌倉幕府のお前らが悪い!」だった。そのため、天皇でありながら巷では「ブラックジョークの天才」などと呼ばれている。実際その通りであり、頭の中はゲスな趣味で一杯のトンデモ天皇だった。

後醍醐政府[編集]

後醍醐天皇は楠木正成北畠親房といった有力武将を味方に引き入れ、西暦1333年(皇紀1993年)にそもそも自分が君主の国でクーデターを起こし、北条王朝の打倒に成功した。クーデター後に樹立した後醍醐政府(通称:建武政府)は、楠木などの武将も主要閣僚に入っていた。

しかし、何でもかんでも「臣下のお前らが悪い」と言って後醍醐天皇の勝手気ままぶりに強力なリーダーシップにより、足利尊氏以下下々のもの武士たちから総スカンを喰らってしまい、ついには2ちゃんねるで批判されまくることとなった。その中で生まれたのが有名な二条河原の落書である。

逆賊による天下簒奪[編集]

後醍醐政府の成立から2年後に、宣旨を新田義貞に賜り足利尊氏を討てと命令あそばした。しかし、塩冶判官高貞が寝返り、錦の御旗に弓引いて官軍は敗北した。

3年後には、足利尊氏が入京したため、帝は比叡山にお逃げあそばされた。尊氏は持明院統光明天皇傀儡化擁立して王朝を立てたため、後醍醐政府は吉野でのモテん皇生活を強いられた。

その後には病に倒れ、無念のうちに51歳でお隠れあそばされた。崩御の後も楠木正成らと共に怨霊になり、「京都の凶徒を倒せ!」と寒いセリフを北方へ向かってはき続け、散々迷惑をかけた。

後史[編集]

日本のバンド「ゴダイゴ」はちゃんと後醍醐の許可を取っているため問題ない。しかし後醍醐天皇自身は醍醐天皇の許可を取らずに勝手に名乗っているので、非常に問題がある。後醍醐天皇は、息子の後村上天皇を共犯者に祭り上げている。

武勇伝[編集]

  • 網走刑務所の壁を破壊して脱獄。
  • 隠岐島を泳いで脱出。
  • 通称「無敵要塞」バルガス要塞刑務所をドイツ兵1000名を連れて全裸で脱獄。母国へ連れて帰ってやったため、アドルフ・ヒトラー総統閣下より感謝される。
  • フグ田サザエの監視から逃げきる。
  • 米軍中枢のコンピュータに侵入し、情報をテロリストに売って倒幕資金に当てる。
  • 米国防総省にハッキングしてコンピュータウィルスをばらまく。
  • ホワイトハウスに烏帽子・直衣姿で参上。堂々と侵入し大統領と対談。(その際天皇が上座でどーんと座り、大統領が下座で平伏する形式で行われた)
  • ヨシフ・スターリンの部屋に勝手に侵入。びっくりしたスターリンに向かって「頭が高いわ、下郎が!!」と一喝。
  • 天皇親政がストップする動機を作ったカーチス・ルメイのサングラスを叩き割る。
  • ひよこ陛下に対してタメ口。(陛下は日本史上一番偉い天皇だからと事実上承認)
  • 織田信長の寝室に侵入してつばを吐きまくる。見つかっても悪びれる様子を見せない。
  • 金王国に乱入して金正日を拉致。「拉致されたものの痛みを思い知れ!!」といつも以上に良い人になった。
  • イクラちゃんに冠を盗まれる。翌日イクラは山奥で頭部を地面に埋められた状態で発見された。
  • 始球式はいつも自分がバッター。しかも絶対に打ちにいく。そして空振り。
  • 巨人が負けたら相手チームの本拠地がある都市を軍を派遣して焼き討ち。故にセ・リーグ球団のある名古屋、大阪(西宮)、神宮球場周辺、横浜、広島はシーズン中は危険地帯(広島は例外的に核兵器使用)。近年は交流戦の影響で福岡、所沢、札幌、神戸、千葉、仙台も危機にさらされている。

関連項目[編集]


この項目「後醍醐天皇」は、手抜き状態のため発狂寸前です。正気に戻すかもっと発狂させてください。 (Portal:スタブ)

先代
源北条王朝
1185年-1333年
日本の歴史
後醍醐政府
1333年-1336年
次代
足利王朝
1336年-1573年
先代
花園天皇
天皇
後醍醐天皇
次代
南朝:後村上天皇
北朝:光厳天皇