巣鴨

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巣鴨(すがも)とは東京にある「三途の川」。四国八十八ヶ所お遍路さん、熊野・高野・吉野の巡礼者が最後に訪れる日本最大の巡礼地であり、お迎えがきた妖怪が集う墓場でもある。

俗に「おばあちゃんの原宿」と呼ばれるが、ここに集まる老いた妖怪たちは、「原宿の方が「若造たちの巣鴨」なのだ!」と言ってはばからない。 まだ「ユネスコ世界遺産」には認定されていない。年寄りが多すぎるからというもっともらしい説明もあるが、巣鴨にたどり着いた者は「三途の川」を越えてしまい推薦者がいなくなってしまうので当然である。なお巡礼地・墓場であると同時に、東京では浅草に匹敵する観光地としても巣鴨は有名である。ただ仲見世や雷門やウンコビルなど名所が山とある浅草と違って、巣鴨で「観光」といってもめぼしいものは「ものすごい密度の妖怪の集団」ぐらいしかないのだが・・・・。

三途の川とぽっくり地蔵[編集]

巣鴨の「とげ抜き地蔵」は、正式には萬頂山高岩寺という寺にある冥土の入口「ぽっくり地蔵」であるが、世間をはばかり延命地蔵と呼ばれる。霊験あらたかなほとけさまで、間違って飲み込んだハリでもトゲでもみな抜いてくれるのでこの名前がある。お迎えがくると魂にトゲがつくので、お迎えがきた妖怪が近づくと、もれなく魂を抜いてもらえる。

ぽっくり地蔵に至るまでの「三途の川」が、「地蔵通り商店街」であり、老人用の服飾店、食料品店、お休みどころが並んでおり、年老いた妖怪たちは、この世での最後の一時を味わい心からの満足を得ることができる。どの店舗でも陳列された商品には老眼のジジババにも目につくように「老人専用」とか「only 年寄り」とか「若い奴禁止」と書かれており、まだお迎えが来ていない若者が手に取ろうとするとサイレンが鳴りまくるほど、厳戒態勢が敷かれている。それだけ若者が排除されているのであるから、普段鬼嫁やバカ孫に虐待されている年寄りにとって、この巣鴨がどんなにか心を癒すオアシスになるかは言うまでもないであろう。

  • ハリを持つ生き物、ミツバチにスズメバチ、ハリネズミやヤマアラシ、フグの仲間のハリセンボン、針すなおハリー・S・トルーマンハリー・ベラフォンテがこのお寺にやってくると、不思議な力が働いてみな丸坊主になってしまうことで有名である。だからハゲたくない人はあまり近づかない方が無難である。
  • 近年、「延命地蔵」の表記に「ぽっくり地蔵」と本当のことを書いてしまった者がいるが、これはどうあってもやめていただきたい。「ぽっくり地蔵」と書かれたこの寺で、今にもお迎えの来そうなじいさん・ばあさんが必死の形相で、観音像を磨いているのを見ると、シャレにならないからである。それはどう見ても犯罪である。

三途の川の地獄絵図[編集]

  • 妖怪たちが心を癒すといっても、恍惚とした老爺や老婆が憩うのんびりとした牧歌的な光景を想像するのは間違っている。巣鴨の妖怪たちは檻から解き放たれた俊敏な野獣のようなものであり、猛突進で商店街でブツを買いあさりまくり、食らい尽くす。団子だ、せんべいだ、あんみつだ、きんつばだと食いまくる地獄絵図を目の当たりにすると、始めて巣鴨に来る若者にはカルチャー・ショックが大きいらしい。特に妖怪たちが群れをなしてマクドナルドに押しかけ「揚げ芋(ポテト)のでかいの(Lサイズ)ください」とか言う光景は、巣鴨以外では絶対見られないものだろう。
  • 巣鴨に集まる年老いた妖怪たちはどいつもこいつも強力な胃袋の持ち主だが、その中でも大福屋に集まる連中は凄まじい。血眼になって大福あたりに食いついて、モチの部分をのどに詰まらせ、あたり一面手足をバタバタさせる年寄りでいっぱいになる様子はまさに地獄絵図だといってよい。救急車が20台ぐらい鈴なりにやってきて「三途の川」からそそくさと担架で連れ戻す手際のよさにも驚かされるが、もちをノドにつまらせた老人の生還率が90%なのもまた驚きである。もっと言うと生還した年寄りがまた大福屋にやってきて、何事もなかったかのように大福をオーダーして、またのどに(以下無限ループ)するのはもっと驚きである。

洗い観音[編集]

「ぽっくり地蔵」の近くには「洗い観音」の像があり、自分の具合の悪い部位を洗うと快癒するということで知られており、一分一秒でも延命を願う老いた妖怪たちが我先に競って水をかけまくり洗っているが、もう「三途の川」を越えてしまったので無駄である。だが「生きたい」という彼らのゴキブリのような執念は凄まじく、石でできた観音像はだいたい一週間で磨耗して、観音像と見分けられなくなる。特に「頭の部分」が大きくえぐられるようになっているところを見ると、「ボケたくない」という妖怪たちの悲壮な決意を感じ取ることが出来る。このように消耗の激しいこの観音像は、ほぼ一週間ごとに新しいものに置き換えられているのだが、誰も気にしない

  • その割には「メシはまだかい」とヨダレを流しながら、観音像をグラインダーで洗っているご婦人も見受けられるが・・・

超高齢都市、巣鴨[編集]

高齢化が進みながら、一向に老いた妖怪たちの尊厳が守られない現在の日本の状況を反映してか、平成に入ってから1年間で「三途の川」に水浴びにきた人口は1000万人を優に超え、「一度三途の川で水浴びをしなかった妖怪は、妖怪ではない」とまで言われるようになったのである。

  • 2007年現在、日本の人口における65歳以上の妖怪の割合が全国平均21%であるのに対し、ここ巣鴨では87%にも及ぶ。言ってみれば10人のうち8人がお迎えがきたかもうすぐお迎えがくる妖怪で、1人が妖怪予備軍、そして中年が0.5人で、お迎えとはまだ縁の薄い青年以下が0.5人にも満たないという。あまりにも妖怪が多いため、一度三途の川を越えたにも関わらず、この世に舞い戻ってしまったゾンビも含まれているのではとの説もある。
  • この日本でさえ世界で例を見ない「高齢化社会」であるのに、巣鴨は「超高齢都市」であることが、このデータから容易にうなずけるであろう。

日本の世界最先端都市、巣鴨[編集]

  • 巣鴨が実は都内屈指のピンサロ街である事は意外と知られていない。池袋大塚といった東京北部のピンサロ街でも巣鴨を特別な存在にしているのは、相手をする女性も、客となる男性も勿論有無を言わぬ「年寄り」そのものが9割方を占めることである。オジイの客はそれほど目立たないが、ピンサロで働くオバアはその筋の女性だからすぐに見分けがつく。マスコミでは巣鴨ピンサロ街の関係者が映って、「おばあちゃんの原宿」のイメージを壊さないように、こうした色気むんむんの婆さんをテレビカメラの前から必死に追っ払っているらしい。ちなみにしわしわの婆さんしか愛せない「老け専」と呼ばれる人々にあっては巣鴨はまさにパラダイスだそうである。
  • 日本の世界最先端はアキバではなく、何を隠そう巣鴨なのである。日本の未来は巣鴨である。佃煮にするイナゴよりもまだすごい数の妖怪をどうするのか、これは巣鴨だけでなく日本の大きな課題である。

福音の伝道師・毒蝮三太夫[編集]

年寄りにとって流行り廃りの激しいこの時代、やはり心の安らぎが必要である。巣鴨に集う妖怪たちにとって、毒蝮三太夫こそは福音の伝道師とも言うべき存在である。毒蝮は、生まれ育ちこそ巣鴨ではないが、その魂は常に巣鴨にあるといってよい。 年寄りが「きゃー、まむちゃん、こっち向いてぇ~」と言うと、「このババア(ジジイ)、気持ち悪いこと言ってんじゃねえよ!」と返す毒蝮。このやり取りは、TBSラジオ「ヨークマートミュージックプレゼント」で聞くことができる。これを聴くジジババの法悦に満ちた表情は、ミサで聖餐にあずかるカトリック信者の敬虔さに、引けをとらないものである。毒蝮が地蔵通り商店街を歩けば、福音を求めて大挙して老人がつめかける。そして「このくそババァ」と言えば、神の恩寵にあてられ何人もの老婦人が至福に満たされて、卒倒するのである。天の国はイェルサレムにあるばかりでなく、ここ巣鴨にもあるのである。彼が「巣鴨の星(スター)」と呼ばれるのもむべなるかな。

なお「巣鴨のスター」である毒蝮は生まれも育ちも東京で、しゃべり口調もどう見たって典型的な江戸っ子べらんめい調なのに、一部の関西人が毒蝮をあたかも関西ローカルの郷土英雄のごとく見做していることがある。毒蝮の芸風が関東・関西を越えたグローバルな視点に立つヒューマニズムを併せ持つと考えられなくもないが、それよりも関西圏に「巣鴨」に匹敵するだけの老人慰安地域がないことが大きな原因だと思われる。関西で鬼嫁に虐待されている老人諸氏にも彼らの救いとなるべき毒蝮ライブが開けるような場所を設けることが急務であろう。

そして巣鴨プリズン[編集]

駅としては、巣鴨よりはるかに池袋に近い場所でありながら、「巣鴨プリズン」と呼び習わされている場所がある。現在はサンシャイン60とも呼ばれているが、とどのつまりは刑務所である。実はサンシャインが開業してからも、巣鴨プリズンの機能は地下に残存しており、拘留、尋問、拷問、処刑をすぐさま行えるようになっている。なぜこの刑務所の場所名が「巣鴨」であるのかは謎が多いが、一説には巣鴨にたむろう老いた妖怪たちが社会に不満を持ち、政府転覆したあかつきには、ここを根城に老人をカーストの首位に定める独裁政権を樹立し、言うことを聞かない若造たちを一網打尽にして、血祭りにあげるためのものであると、ささやかれている。

関連項目[編集]