多摩市

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多摩市(たまし)とは、たぶん東京都に属している自治体の一つ。隣の町田市八王子市と同様に、人々の意識の中で神奈川県と東京都とを彷徨っている。その実態から「多市」とも表記する。

多摩ニュータウン開発および平成狸大戦により市の様子は一変したため、ここでは開発前と開発後に分けて説明する。

開発前[編集]

多摩丘陵の巨大な谷の断崖絶壁の奥底にが形成されており、北部に多摩川が流れる。谷底にあるため、日照時間が他の地域よりも非常に短く、ほとんど太陽光が谷底に差し込む事は無い。そのため農業は市域に僅かに存在する丘陵斜面で行われていた。またその外部と隔絶された環境から反外交的であった。さらに鎌倉時代末期に、新田義貞軍が鎌倉幕府軍に圧勝し、6日後の鎌倉幕府滅亡へと導いた「関戸の戦い」はこの地で繰り広げられたものだが、以後は死者の亡霊が昼でも確認されるなど、正に魔界であった。今でも多摩市にあるお寺では定期的に供養が執り行われている。

この様な土地はありし日の東京府の悩みの種で、1871年廃藩置県の時に「神奈川県、お前が対処しろ」と神奈川県に譲渡した。しかしながら神奈川県も処置に困り「やっぱ返す」と返還してしまった。これが原因となり、未だに多摩市は人々の意識の中で東京~神奈川間を放浪としている。「八王子のちょっと手前ですぅ~」とか言っとけ。

ただその一方で、東京の皇居から日帰りで行ける秘境のロイヤルアウトドアテーマパークとして、明治天皇がこの地を気に入り、兎狩りや鮎漁の見物にしばしば訪れた。江戸時代の天皇が幕府の方針で200年以上ほぼ外出できずに、インドア派にさせられた反動で、明治天皇は乗馬を覚えて、よくアウトドアを楽しんだ。今もこの地にある京王線聖蹟桜ヶ丘駅の「聖蹟」(せいせき)という言葉は、明治天皇が訪れたことに由来する。

開発後[編集]

1965年、同じ東京都なのにこの秘境っぷりは何だと当時の都知事がキレ、多摩ニュータウン計画の実施を強行し高度成長の勢いで作ってしまった。谷を切り崩し、余った土壌を別の団地の造成に使用した。その結果地形はなだらかになり、開発前より起伏が激しくなくなった。日照時間は大幅に上昇し、数年間のみスタジオジブリ制作の「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台となるが、以後開発がさらに進行し、動物たちに住処は蹂躙され、破壊された。

田舎[編集]

隣あっている日野市八王子市町田市府中市稲城市川崎市の中で(ようは南多摩地域の中で)高速道路JRがいまだに開通していない。市内を通る鉄道はK.O.線K.O.サガミフィールドラインオバケのQタマー線タマ・メトロポリス・モノレール・ラインという変な路線ばかりで、「サガミ」「タマ」などと大東京らしからぬキーワードが付随している。このような事から、未だに近隣市民、区民から田舎扱いされている。ちなみに西武多摩川線の延伸計画もあったが、武蔵境で接続する中央線に田舎者(多摩市民)が大量に押し寄せることに対して国土省内で反発があり、事業認可が下りなかった。

よく神奈川県民から川崎市多摩区だと間違えられる。

でも本当のことを書けば「多摩弁」も存在するし、ゴルフ場やたら多いし稲荷塚古墳など2万年前の遺跡とかあるしその他もろもろある。

人口[編集]

  • 2010年現在の人口:147.541人

市制施行前年の1970年の人口は25人(小数点以下切り捨て)。多摩ニュータウンの入居開始以降急増し、1980年に95人(小数点以下切り捨て)、1990年に144人()に達し、これ以降140人台のほぼ横ばいで推移している。多摩市役所のHPには、いかにも人口が僅かながら増えてるようなデータや、全国平均より低い高齢化率、ベッドタウンにも関わらず高い昼夜間人口比の数字などが掲載されているが、これらは全て多摩市役所による捏造である。また、市民の3人に1人は人間に化けたタヌキもしくはである。

高齢化[編集]

多摩市では高齢化が急速に進んでいるため、65歳未満の若者が市内を出歩こうものならすぐさま変質者として通報される。ただし多摩センターでは政策上の理由により、市内で唯一若者が立ち入れるエリアとなっている。なお前述の通り多摩市役所のデータは捏造である。このまま高齢化が進めば、多摩オールドタウンと呼ばれるのも時間の問題である。

市内交通[編集]

ジェットコースター[編集]

京王相模原線の全線および小田急多摩線における多摩市内の区間はジェットコースターとなっていて、最高速度マッハ7運転を可能とする。多摩センターには企業が集積しているが、このド・田舎までの通勤時間は長く、通勤者は車内で爆睡してしまうためそれに対する配慮である。多摩モノレールも同様の効果をもたらすために、多摩市内の区間においては地上22メートルというトンデモない高さに建設されていて、人がゴミのようだ。また、京王相模原線はやたらと混んで、座れないが、これは人間に化けた狸が座席を占拠しているためである。なお上記以外にも市内にはK.O.線が通っている。何と、すべての駅に特急が停まるのである。

主要道[編集]

  • 鎌倉街道 - 名前のとおり鎌倉へ続く道であるが、実際に鎌倉へ到達できるかは確認されていない。
  • 野猿街道 - 道なき道を進むと八王子に行き着く。
  • 多摩ニュータウン通り
  • 南多摩尾根幹線 - 現在開通してるのは側道である。多摩ニュータウン住民はみな自然愛好家であり、尾根幹線建設は自然破壊だ!とする主張のもと団地のオバチャンたちは団結し、本線部分の建設は中止となった。道路の真ん中に広がる草ぼーぼーはファントムに終わった本線の名残である。以上の経緯があり、また沿道にあるぴーごきげんよう!)の学生が横断歩道をエレガントに渡るがゆえ通過に時間が掛かるため、この道路は常に渋滞が起きている。

関連事項[編集]

この記事「多摩市」を書いた人は大いなる権力により抹消されました。この記事を読んでいるそこの君も抹消される覚悟があろうとなかろうと編集し…あれ?こんな時間に客?誰だ? (Portal:スタブ)