三島市

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三島市(みしまし)は、静岡県の東部、じゃなかった、伊豆半島の付け根の中央に位置する都市だっけ。

歴史[編集]

この段落では三島市の名前の由来を説明する。 以下、三島市の歴史的な命名事件に基づく史実を書き記す。

三島市、三島大社に秘蔵されている歴史書曰く、

今は昔、この地、海になりにけり。その海に3つの島ありけり 名をば『末広島』、『新田島』、『愛鷹島』言いにけり。 ある日、一人の仙人この地に住みにけり。名をば『広小路君麻呂』言いにけり。 仙人曰く、『あな、この場所モーセの様に水をば退させあらんや。この地に楽園作りたらざん』 仙人の持ちたる杖、ビカビカッっと光る。あな眩しきなりたらん。 辺り満ちたる水いかんや退きけり。この地、新たに開墾されし。 この史実により、この地、3つありし島の名を思いはせく様「三島」呼びたらざんや。

現代語訳[編集]

今となっては昔のことだが、この地は、海になった。その海に3つの島は存在した。 名を『末広島』、『新田島』、『愛鷹島』と言われる。 ある日、1人の仙人はこの地に住んだ。名を『広小路主人私』と言われた。 仙人は言うことには、『まあ、この場所モーセの様子に水を退させいようか。この地に楽園を作っている』 仙人が持っている杖が、ビカビカと光る。まあはなはだしいきであっていよう。 付近が満ちている水は行こう退いたのか。この地、新たに開墾された。 この史は真実によって、この地が、3ついた島の名を思岩がさえぎるように「三島」と呼んでいた。 

概要[編集]

ナウなヤングにバカウケ必死の三島(静岡)弁。

隣接する沼津市と、伊豆県の覇権を争っている出世都市。関東地方民が箱根の山を越えてこの地に辿り着き、三島市民と話すと「ら」の洗礼を浴びる。「ら」の出発地点。

だが大事な事を忘れてはいけない。三島市は静岡県東部地区ではなく伊豆県である。さりげなく岳南(東駿河)面できるのは、新幹線三島駅の北口の半分が東駿河の長泉町に面しているおかげである。数年かけて三島駅北口を整備したのも、実は長泉町への感謝を示すためであるのは内緒である。

駅近くには(自称)東洋一の湧き水量を誇っていて、水が豊富に出ていることを誇示するために噴水や小川が沢山存在する。本当は、東洋一の湧水量を誇るのは柿田川のある清水町だが、隣町だし近いから、と暗黙の了解がしかれている。世界一高い山のエベレストから出る湧き水や中国の長江の量との比較は?、と決してつっこんではいけない。

三島市のお洒落の発進基地として知られるイトーヨーカドーは、日本大学の怖いお兄さん達が現れる確率が少ないため地元のヤンキー小中高生が集まり、改造自転車を自慢し合ったり、集会を開く場所となっている。三島のダウンタウンと称され、治安の悪い場所のため市役員たちは如何に改善するかを日々検討し合い頭を悩ませている。

衰退からの脱却[編集]

もともと、東海道五十三次宿場町として三島は江戸時代より重要な位置を占めていたが、明治期に隣接する沼津に東海道本線の駅を持っていかれ、次第に衰退していった。

市民はその地位を奪回するべく、大正期になってから東海道本線の誘致工作を開始する。この計略は成功し、昭和9年の丹那トンネル開通に伴い、従来北1kmの位置にあった三島駅を現在地に設置させた。

沼津を凌ぐきっかけ[編集]

しかし、沼津市は東海道本線の電化・非電化区間の境目であったため、相変わらずこの地域における中心都市は沼津であった。これを打開したのは、東海道新幹線の開業である。

新幹線の開業当初、静岡県における駅は熱海静岡浜松のみに設置された。しかし、三島駅の近くに線路が通っており、更には保線基地も設けられていた。

三島ではこれを利用し、東海道本線のルート変更時と同じく計略活動を開始、新幹線開業から5年目の昭和44年に保線基地を駅に昇格させたといわれる。熱海から極端に近いにも関わらず駅が設けられたあたりに、その計略活動の跡が伺える。 この時、資金難で駅が建設できず、周辺自治体の寄付で建設費を賄ったことがあったのは忘却の彼方である。

新幹線開業に伴い、東海道本線は衰退して沼津駅も凋落していたため、これをもって静岡県東部における鉄道の結束点は沼津から三島に変わった。

しかし、我が三島駅は新幹線が止まるのに拠点駅にはなれず、未だ沼津市や駿東郡への乗換駅に過ぎないのが目下の悩みである。

策略活動[編集]

その後、さらに沼津を陥れるため「伊豆ナンバー」を創設し、それまでの沼津ナンバーから脱退した。また、これは伊豆半島全域を手中に治めるための計画でもあった。しかし、創設直前に「伊豆市」という市が誕生したことで「伊豆市の伊豆ナンバー」となり、本計画をのっとられてしまった。 現在では、「伊豆ナンバー」と「伊豆の国」ナンバーが入り混じる無法地帯と化してしまった伊豆半島。これを如何にまとめ上げ、伊豆の中心的市街となるかが21世紀の三島に課せられた課題である。

三島駅[編集]

伊豆県の拠点都市を誇示する新幹線の乗り場がある。この駅は北口から南口へ抜けるために通行料を支払わなければならない。

JR線に寄り添って旧修善寺町まで線路が伸びている伊豆箱根鉄道(愛称・イズッパコ)は、神奈川県箱根町と何一つ接点がないにも関わらず箱根を表記していて、一部の人達から反感を買っている。←駿豆線=伊豆、大雄山線=箱根ってことじゃね?

JR線内には(自称)日本で初めて作られた動く歩道、がひっそりと設置されている。

駅前にはスクランブル交差点がありものすごいスクランブルしている。

三島大社[編集]

かなり昔に設立された神社。鎌倉幕府を開いた源頼朝が参拝を始めたことにより知名度がグンと上がる。もともとは三島大明神を祀っていた神社であるが彼の功績により源頼朝を祀る神社に変貌を遂げた。

名物[編集]

市民の7割がその所在を知らない場所にある、県道を不正に占領する地。奥には重要国家機密が眠っている
日大通り
三島市を語る上で外せない三島一の通り。小学校、中学校、高校があり、更に日本大学国際関係学部が軒を連ねている。「東京大学はイチョウが沢山植わっててお洒落な雰囲気になっている。これを真似て日大通りもイチョウを植えよう。」、とイチョウの木を通り沿いに所狭しと植えたが、秋には銀杏が大量発生して大誤算となってしまっている。現在は公害の一つに数えられている。「一体県道21号線はセブンイレブンからどこまでが日大通りなの?」、と哲学を持つ人々が着実に増加している。
走り屋
ドリフト分派である三島市民が夜な夜な某豆腐屋の真似事をしに箱根に出没する。実は酔っ払って蛇行運転をしているだけなのだが、彼等はそれをテクニクだと言い張り走り続けるなどサル並の知能巣数で有名だ。秋葉原痛車にひけを取らないデザインの車が数多く存在する。
楽寿園にいるレッサ-パンダ。
以前はキリンがいたが寿命によりお察しください
三島大社にいる鹿。
近寄ると臭いがひどい。
〇プ〇病院
廃墟と化した病院。なぜか取り壊さずに現在も建ち続けている。元が病院であったため夜訪れるとかなり怖い。富士急ハイランドの病院なんかよりも怖い。