リーガ・エスパニョーラ

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リーガ・エスパニョーラ(Liga Española)とは、スペイン王国(Kingdom of Siesta)のサッカーリーグであると同時に、なぜスペインが借金まみれであるかを明確に伝える存在でもある。

歴史[編集]

リーグ誕生以前[編集]

スペインにサッカーが伝来したのは1808年のことである。え?イングランドより古いって? その事実を報告した場合、粛清されました

初のスペインでのサッカーの試合の記録は、ナポレオン・ボナパルト軍(フランス代表)対スペイン民衆で行われた試合である。(ゴヤによって描かれた右の絵を参考のこと)

ナポレオン軍が3点目となるゴールを決める

原始サッカーの名残をとどめる試合はナポレオン軍が3-0で勝利したが、その時に使用した銃器類が「ハンド」にあたるかについての議論が繰り返された。

結局、ナポレオンが頭の中の消しゴムで「ハンド」という語を辞書から消したことで事なきを得た。

その後、1900年ごろになって、青えんじとか白いのとかいったクラブが誕生した。スペインでこのころサッカー人気が拡大したのは、やっと自分たちのタマが2つあることに気付いたからである。

そのため、初期にはコイントスに負けたキャプテンのぴーを試合球として使用していた(のちにこれは名誉であるとして、勝ったチームのキャプテンに変更された。)。

リーグ誕生[編集]

1927年4月、高まる人気を受けて、リーガ・エスパニョーラが発足した。が、ヨーロッパのよく頑張ってるサッカー大国からは見向きもされなかった。

スペイン人は激怒した。かのじゃちぼうしゃく...みたいなやつは日本でも有名である。

いつの間にかサッカーガチ勢が集まり、気付いたら大きくなっていた。問題は、それがすさまじいレベルで地域間抗争になった結果、もんのすごいレベルで経済的にも文化的にも発展したにも関わらず、なぜだか借金まみれの上、借金の上に借金を積み重ねても尚、レアルとバルセロナを倒そうと意気込むチームが続出し、そしてかの2チームにおいても、ライバルを倒そうと金に金に金に金に金に糸目をつけない競争を繰り広げていくことになる。

誕生時のクラブ[編集]

その後[編集]

まあとにかくいろんなことがあった。詳しくは[1]を参照してくれ。この記事では特筆すべき事象のみを記す。

こういったオラが町のサッカー団が一番思想は、人気拡大には成功したが、多額の赤字を伴うものだった。この思想は政治経済でもフランコ退場の地域主義時代に適用された。その結果どうなったかについては、2014年の時点で、若者の失業率40%という話で判断してくれ。

北が頑張ってた時代[編集]

北と言ってもここではない。

スペイン北部の、アスレティック・ビルバオとFCバルセロナは、リーグ初期に強かった。それを見た独裁者フランシスコ・フランコ総統は激昂して彼らを叩きのめすことを決意した結果、サッカーと戦争を間違う連中が続出するどころか、本物の内戦になった。しかも、相手がバルセロナでさらにこちらもレアル・マドリードだったもんだから、単純計算で、60年ほど戦争を継続していることになる。

その結果、スペインのスポーツ文化や観光、さらには外国人への受け入れ、すなわち移民といった話については欧州トップレベルの質を維持し、リーガ・エスパニョーラもまた素晴らしい発展を遂げた。それは多くのチームがサッカーの移民たちを使い捨てる伝統によく現れている。

フランコ時代[編集]

で、その諸悪の根源であるフランシスコ・フランコは根っからのレアル・マドリーファンであった。しかも、熱狂的なファンであり、そしてそれ以上にアンチバルセロナだったことが、歴史に深く刻まれている。

フランコ総統は死してなおマドリディスタである。

結果として、同じマドリードのチームであるアトレティコ・マドリード以外のクラブは目障りになったため粛清するというのが、ある時期におけるスペインの国是とされ、その話に猛反発することで、リーガ・エスパニョーラはまさに内戦の縮図という光景を見せることになる。そのため、この時代にはレアル・マドリード以外のクラブが優勝すると粛清されました

なお、この内戦が2025年現在まで延々と続いていることを理解すると、とりあえず、スペイン経済の低迷はものの5秒で説明できる。

フランコの死から現在へ[編集]

1975年、しぶとくいき続けてきたフランコ将軍がようやく死んだことで、スペインは民主化を果たすものの、なぜだか、サッカーでは独裁政治が続くのがリーガ・エスパニョーラの真髄である。けれど、なぜだか、そういった独裁的なチーム運営を真似することで、たくさんのクラブが発展していったことも事実である。

特に、レアル・マドリードとバルセロナの経済的思想のありえなさについては、彼らを反面教師としたら、ドイツブンデス・リーガが驚異的な成長を遂げ、なおかつドイツが欧州随一の経済大国に成長したことでも十分に理解できる。

リーグの特徴[編集]

スペインサッカーの特徴[編集]

スペインサッカーには、特筆すべきスタイルがないと言われてきたが、世界一とされたバルセロナのパスサッカーが廃れた後に、スペイン人の相変わらずの呑気気質が生み出した「ピープ&スリープ」と呼ばれるスタイルが一般となっており、多くの人に愛されている。つまり、それ以上に相手チームのファンから憎まれている。

ピープ[編集]

ピープ(peep)とは、笛の鳴る音である。

スペインサッカーの半分は、以下に一匹狼(俗に主審、レフェリーとも呼ばれる)に遠吠え(俗にホイッスル)をさせるかにかかっている。いや、半分というか全部。

エル・クラシコ(後述)などのビッグゲームでは、事実上これによって結果が決まる。そのため、選手は蹴られたふりをしたり殴られたふりをしたりして汗を流す。このため、スペインサッカー選手の運動量は世界でも群を抜いて高い。

スリープ[編集]

スリープ(sleep)とは、寝ることである。

スペイン人最大の欲求は睡眠欲である。これが性欲である日本人とは対照的である。 今まさに寝ようとする選手。彼はスペインではスーパースターであろう。

彼は今まさに寝ようとしている。このようにすぐに寝られる選手こそ、スペインでは尊敬される。

そのため、スペイン人は試合中でも頻繁に寝る。ベッドを持ってくる選手もいる。ゴールキーパーが寝ていて失点することもある。

金銭面[編集]

こういった世界屈指のサッカー大国であるスペインサッカー界には、当然のことながら大量のおカネが舞い込んでいる。にもかかわらず、スペインの多くのクラブは貧乏である。

おっと、一部訂正。全てのクラブが借金まみれである。

これは、舞い込んだお金のうち、40%がレアル・マドリーへ、35%がバルセロナへ、20%がサッカー協会へ、4%がアトレティコ・マドリーへ流れ、そこからさらに先、相手チームよりもいい選手を取り揃えている各国のチームに自動的かつ宿命的に多額の金銭を垂れ流すシステムができあがっているためである。

もっとも、アトレティコのように「貧しいクラブ代表」を称号して富裕層と戦ってきたチームも存在しているものの、2010年代より富裕層とくっつき始めてしまい、ほぼ前述の2クラブと見分けがつかない感じになってしまった。どれぐらいお金をかけられるかの勝負では勝ち目はないと思われたものの、幸いなことに2014年に彼らはリーガ・エスパニョーラを制し、とにもかくにも、積み上げた金の高さで優勝するチームが代わるというスタイルに風穴を開ける。

けれど、やってることは同じである。(これを言うと生きては帰れないので注意すること)

展望[編集]

2014年7月の時点でスペインのリーグは20チームで構成されているが、正直18チームはどうでもよく、それは前のシーズンに優勝したアトレティコも含まれている。結局のところは、彼らにはこの方法はまだ早すぎたということだろう。そのため、基本、レアル・マドリーとバルサ以外のチームについては、例えるなら国語教科書の裏表紙にあるポエムぐらいどうでもよく、1年や2年程度、活躍したとしてもグローバル・サッカーで生き残れるのは、これらお金ジャラジャラクラブたちだけである。

もっとも、バルセロナとレアル・マドリーは専らリア充であると思われているのだけれども、決してそんなことはなく、アホ監督を招いたり(青えんじの方)、バカ選手を獲得してチームが崩壊したとき(白い方)など、1年どころか10年以上にわたって相手チームファンから笑われるという苦行が待っている。

もっとも、ほかの17チームは万年その状態である。アトレティコ・マドリーのような作戦が成功しても、20歳で童貞を捨てた大学生のように誇ることは可能であるけれど、実際はあの2チームと同じく、お金で買った優勝であり、そこはそれ、どうしようもないげんじつである。

あわせて、低迷するスペイン経済の中、将来的に、イングランドなどにこの2チームは移動する可能性もある。というかこの記事を読んでいるころには移動しているかもしれない。まあどちらにしろ関係ない。この2チームが移動した先で、サッカー内戦が勃発するだけなのだから。

エピソード[編集]

ちなみに、マドリードとバルセロナ、そしてビルバオの三国志ならぬ三蹴志は、下手なアンサイ記事やライトノベルよりも面白いと評されている。

けれども、それ以外語るほどのエピソードもないのが現状である。


リーガ・エスパニョーラで「プレイ」した日本人[編集]

中村俊輔
  • 財前宣之(CDログロニェス)・・・実際には番号が与えられなかった。なおログロニェスは後に財政難でクラブごと消滅した。
  • 城彰二(レアル・バシャドリード)・・・いまはテレビで頑張ってる
  • 大久保嘉人(RCDマヨルカ)・・・2014年に代表に呼ばれて浮かれてた人
  • 中村俊輔(RCDエスパニョール)・・・日本人最高の実績を持って挑戦した結果、日本人最速で挑戦したこと自体がなかったこと
  • 家長昭博(RCDマヨルカ)・・・代表で地蔵
  • 清武弘嗣(セビージャFC)・・・思うように出場機会を得られず帰国
  • 乾貴士(SDエイバル→レアル・ベティス→デポルティーボ・アラベス→SDエイバル)・・・リーガで成功していた数少ない日本人選手。
  • 柴崎岳(CDテネリフェ→ヘタフェCF)・・・リーガでは珍しい脳筋サッカーを展開するヘタフェにマッチせず、ベンチ外が続く(2019年4月現在)
  • 久保建英(レアルマドリード→マヨルカ→ビジャレアル→ヘタフェ→マヨルカ→ソシエダ)…現地でたらいまわしに遭っていたがソシエダでいきなり覚醒した人。
  • 浅野拓磨(RCDマジョルカ)ハンジ・フリックの天敵。バルサの監督になったフリックを追いかけてドイツからスペインまで来てしまったらしい。

全体的に、スペインは日本サッカー選手の鬼門説が浮上中である。

関連項目[編集]