那波光雄
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なわ みつお 那波 光雄 | |
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生誕 |
1869年9月15日 岐阜県 |
死没 | 1960年4月1日(90歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 |
帝国大学工科大学 (現・東京大学) |
職業 | 土木工学者、鉄道官僚 |
子供 | 那波光正 |
那波 光雄(なわ みつお、明治2年8月10日(1869年9月15日)[1][2] - 1960年(昭和35年)4月1日[1][2])は、明治時代中期から大正時代の土木工学者、鉄道官僚。
経歴
[編集]岐阜県に生まれる[1]。1893年(明治26年)帝国大学工科大学土木工学科を卒業後、恩師の白石直治に招請され関西鉄道に入社する[1]。1899年(明治32年)京都帝国大学助教授に転じ、ドイツへ留学後、1902年(明治35年)教授に進む[1]。1906年(明治39年)九州鉄道に入るが、翌年同社が解散すると帝国鉄道庁技師に転じ、中津建設事務所長となる[1]。
ついで鉄道院大分建設事務所長、工務部設計課長を経て、1917年(大正6年)より東京帝国大学教授を兼ね、鉄道院総裁官房研究所所長を経て、1926年(大正15年)退官した[1]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294。