飯縄山
飯縄山 | |
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戸隠バードライン上の大座法師池より望む飯縄山。山の南側からの眺めで、山頂の右に霊仙寺山、左に瑪瑙山が見える。 | |
標高 | 1,917 m |
所在地 |
日本 長野県長野市 上水内郡飯綱町・信濃町 |
位置 | 北緯36度44分22秒 東経138度08分01秒 / 北緯36.73944度 東経138.13361度座標: 北緯36度44分22秒 東経138度08分01秒 / 北緯36.73944度 東経138.13361度 |
種類 | 成層火山 |
飯縄山の位置 | |
プロジェクト 山 |
飯縄山(いいづなやま、飯綱山[注釈 1])は、長野県北部(北信地方)、長野市・上水内郡信濃町・飯綱町にまたがる山。標高1,917メートル。飯縄山と、その支峰・霊仙寺山(れいせんじやま、1,875.0 m)、瑪瑙山(めのうやま、1,748 m)などからなる連山全体を飯縄山と呼ぶこともある。戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山とともに、北信五岳のひとつに数えられる。
概要
[編集]長野市中心部から北北西へ、直線距離で10キロメートル余りに位置する。妙高火山群に含まれる成層火山。現在から約25万年前に噴火を始めた二重式火山で、約5万年前まで活動をしていた。約15万年前から12万5千年前頃の噴出物「飯縄上樽テフラ」「飯縄西山テフラ」などが関東平野北西部の埼玉県熊谷市(旧江南町)江南台地付近[1]や群馬県甘楽町白倉[2]で確認され、鏑川流域の露頭で観察される[2]。これらの噴出物は年代決定の指標として利用されている[3]。
戸隠山と共に蕎麦やスキー場でも名高い。飯縄山の南斜面に飯綱高原スキー場、東斜面にいいづなリゾートスキー場があるほか、瑪瑙山の西斜面に戸隠スキー場がある。
信仰
[編集]古くから山岳信仰の霊山であり、飯縄権現を祀り修験道場が開かれ、足利義満や管領細川氏、上杉謙信、武田信玄、徳川家康など武将の尊崇を得ていた。また忍術(滋賀県甲賀市の古寺の本尊は飯縄権現像と伝わる)や剣術の修業の地(神道無念流開祖の福井嘉平は飯縄権現への参篭により会得したと伝わる)としても知られる。全国に多くの分社を持つ総本山である飯綱神社だが簡素な社があり、頂上に至る登山道脇には1番の不動明王に始まる13体の石仏が点在する。同じく修験道場として知られる戸隠山は、さらに西北西へ直線距離で10キロメートル余りの場所にある。
山名
[編集]飯縄山の名称は、「飯砂(いいずな、飯のように食用となる砂の意)」に由来し、信州で局地的に見られる菌類・藻類など微生物の複合体、「テングノムギメシ」(天狗の麦飯)のことを指す。かつては同山中に生息していたが現在は絶滅したともいわれる。凶作の時に飯綱三郎天狗がこの飯砂を配り人々を救ったという伝説がある。
周辺
[編集]参考画像
[編集]-
南斜面
飯綱高原スキー場 -
東斜面
いいづなリゾートスキー場 -
飯縄山と村山橋
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飯縄山山頂
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瑪瑙山(手前)と戸隠連峰(奥)
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戸隠山から見た飯縄山
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 観光地名としては「飯綱」を、山名としては「飯縄」を使用している。
出典
[編集]- ^ 中里裕臣, 中澤努, 飯縄西山テフラの発見による関東平野北西部,江南台地のテフロクロノロジー」『地質学雑誌』 2007年 113巻 12号 p.628-635, 日本地質学会, doi:10.5575/geosoc.113.628。
- ^ a b 田力正好, 高田圭太, 古澤明, 須貝俊彦, 「利根川支流,鏑川流域における飯縄火山起源の中期更新世テフラ」『第四紀研究』 2011年 50巻 1号 p.21-34, doi:10.4116/jaqua.50.21。
- ^ 湯澤樹, 大月義徳, 飯縄山西麓における中期更新世以降のテフラ層序」『季刊地理学』 2018年 70巻 4号 p.185-198, 東北地理学会, doi:10.5190/tga.70.4_185。
- ^ 逆谷地湿原長野の大地みどころ100選
関連項目
[編集]- 妙高戸隠連山国立公園
- 北信五岳 - 戸隠山 - 黒姫山 - 妙高山 - 斑尾山
- 北信五岳道路
- 飯綱高原
- 飯縄権現・飯縄神社
- 飯綱高原スキー場
- いいづなリゾートスキー場
- いいずな書店
- 飯縄山 (小川村) - 西南方向15 km、小川村にある同名の山。標高1,203メートル。
- 飯綱山 (信州新町) - 南方向20 km、長野市内にある同名の山。標高634メートル。
外部リンク
[編集]- 日本の火山 飯縄山 - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
- 電子国土web 飯縄山
- 竹内順治, 竹下寿, 「後期猿丸階における火山活動,とくに古飯繩火山活動について : 北部フォッサマグナの下部最新統火山岩類」『地球科学』 1965年 1965巻 78号 p.1-10, 地学団体研究会, doi:10.15080/agcjchikyukagaku.1965.78_1