コンテンツにスキップ

岩手県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩手県
中尊寺金色堂 覆堂
浄土ヶ浜
えさし藤原の郷
八幡平
大沢温泉
岩手山と盛岡市街
岩手県の旗 岩手県章
岩手県旗 岩手県章
日本の旗 日本
地方 東北地方
団体コード 03000-7
ISO 3166-2:JP JP-03
面積 15,275.05km2
総人口 1,144,407[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 74.9人/km2
隣接都道府県 青森県の旗 青森県
宮城県の旗 宮城県
秋田県の旗 秋田県
県の木 ナンブアカマツ
県の花 キリ
県の鳥 キジ
県の魚
県の歌
ナンブサケ
岩手県民の歌
岩手県庁
知事 達増拓也
法人番号 4000020030007 ウィキデータを編集
所在地 020-8570
岩手県盛岡市内丸10番1号
北緯39度42分13秒 東経141度09分10秒 / 北緯39.7035度 東経141.15272度 / 39.7035; 141.15272座標: 北緯39度42分13秒 東経141度09分10秒 / 北緯39.7035度 東経141.15272度 / 39.7035; 141.15272
岩手県庁
外部リンク 公式ウェブサイト
岩手県の位置

岩手県行政区画図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキポータル 日本の都道府県/岩手県
ウィキプロジェクト

岩手県(いわてけん)は、日本東北地方に位置する県庁所在地盛岡市

概要

[編集]

東北地方の北部(北東北)に所在し、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と境界を接している。面積は15,275.05km2[1]、日本の都道府県としては、北海道に次いで2番目に広い。県の人口およそ120万人のうち、100万人以上(8割強)は内陸部の北上盆地に集中し、沿岸部は平地が少なく小都市が点在する。北上盆地と沿岸部の他は、大半が山地や丘陵地である。

江戸時代初期は、現在の岩手県の前身にあたる地域は南部藩の一部と伊達藩の一部で構成されていた。また、岩手県内で陸前に該当する地域は釜石以南の三陸地方のみである。南部(県北)地域は陸中に当たる。

名称

[編集]

「岩手」の名称は、県庁の置かれた盛岡市の所属名「岩手郡」に由来する。その起源については、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事に倣うとされる。

また、「岩手」の名が文献に登場するのは、「みちのくからに献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」という大和物語の一説の鷹の名「岩手」が初めてだといわれている。帝は、岩手を失った悲しみを「言わないことが言うことより気持ちが勝る」の意味で、「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたという。この表現は、古今和歌集の中からの本歌取りである。

1872年の発足以降現在に至るまで正式には「岩手県」であるが、明治・大正期には「巌手縣」や「巖手県」の表記も行われ、県報には「巌手県報」の題字が使用されるなど、両方が併用されていた[注釈 1]。「岩手県」に一本化されたのは1923年9月22日で、「岩手県報 第847号」に「縣名ノ文字ニ關スル件」が公示され「岩手県」を正式名としている[2]

地理・地域

[編集]

自然公園

[編集]
小岩井農場から見た岩手県最高峰岩手山
平泉高館から見た東北最大河川の北上川

地形

[編集]

気候

[編集]

内陸部は年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。内陸北部や高原地帯は湿潤大陸性気候に属し、寒さが非常に厳しい。特に藪川は冬季に-30°C近くまで冷え込むこともある本州最寒地として有名である。沿岸部は海洋性気候で夏は冷涼である。

県内全域が豪雪地帯に指定されているものの、降雪量には地域差が大きい。西和賀町八幡平市松尾村は降雪量がかなり多く、特別豪雪地帯に指定されている。奥羽山脈沿いは、降雪量が多く雪質も良いため、いくつかのスキー場スキースノーボードの国際大会や国内大会が開かれることもある。一方、沿岸部に位置する宮古市、大船渡市などは降雪量が少ない。

太平洋側の盆地である北上盆地は、冬季の西高東低気圧配置になると奥羽山脈が「壁」の役割をはたして晴天になることが多い。そのため、放射冷却によって早朝の最低気温が低くなる。北上盆地に位置する盛岡市は、より北に位置する札幌市青森市などの都道府県庁所在地よりも最低気温を下回ることが多く、都道府県庁所在地で最寒都市である日が多い。実際、北上盆地の各都市(盛岡市花巻市北上市奥州市)は今でも厳冬期に気温が-15°C前後まで下がることは珍しくない。しかし、冬季の深夜・早朝は市街地と郊外の気温差が非常に大きく、盛岡、北上、一関を中心にヒートアイランド現象が顕著に見られる。

北上盆地の夏は、フェーン現象の影響で、南にある仙台市よりも最高気温が高いことがしばしばあるが、沿岸部は仙台市と同様の気候となることが多い。

岩手県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
三陸海岸 北部内陸 北上高地
洋野町
種市
久慈 普代 岩泉町
小本
宮古 山田 釜石 大船渡 軽米 二戸 八幡平市
荒屋
八幡平市
岩手松尾
一戸町
奥中山
久慈市
山形
葛巻 盛岡市
藪川
宮古市
区界
平均
気温
(°C)
最暖月 21.1
(8月)
21.6
(8月)
21.0
(8月)
21.5
(8月)
21.2
(8月)
21.9
(8月)
22.9
(8月)
23.0
(8月)
21.1
(8月)
22.7
(8月)
21.7
(8月)
21.3
(8月)
20.8
(8月)
20.9
(8月)
21.5
(8月)
19.4
(8月)
最寒月 −1.1
(1月)
−1.5
(2月)
−1.4
(1月)
-0.9
(1月)
−1.3
(1月)
0.6
(1月)
0.7
(1月)
−3.0
(1月)
−2.3
(1月)
−3.6
(1月)
−3.5
(1月)
−4.8
(1月)
−3.1
(1月)
−3.9
(1月)
−7.0
(1月)
降水量
(mm)
最多月 196.4
(9月)
205.0
(9月)
257.8
(9月)
257.1
(9月)
229.4
(9月)
234.6
(8月)
287.2
(8月)
218.7
(9月)
160.6
(9月)
161.2
(9月)
163.3
(9月)
159.0
(9月)
171.5
(8月)
170.3
(8月)
154.0
(8月)
183.7
(7月)
最少月 36.0
(12月)
30.3
(12月)
36.7
(12月)
38.4
(12月)
39.9
(12月)
42.7
(1月)
47.0
(1月)
36.9
(12月)
28.2
(1月)
32.3
(1月)
70.8
(2月)
38.3
(1月)
53.5
(2月)
45.8
(1月)
34.3
(1月)
30.4
(1月)
平年値
(月単位)
北上高地 中西部 北上盆地
岩泉 宮古市
川井
遠野 住田 西和賀町
沢内
西和賀町
湯田
盛岡市
好摩
盛岡 雫石 紫波 花巻市
大迫
花巻 北上 奥州市
江刺
奥州市
若柳
藤沢
千厩
一関
平均
気温
(°C)
最暖月 22.0
(8月)
22.4
(8月)
22.5
(8月)
22.7
(8月)
21.9
(8月)
22.2
(8月)
22.4
(8月)
23.2
(8月)
22.4
(8月)
22.9
(8月)
22.9
(8月)
23.7
(8月)
23.5
(8月)
23.2
(8月)
23.2
(8月)
23.8
(8月)
最寒月 −1.3
(1月)
−1.4
(1月)
−2.8
(1月)
−1.0
(1月)
−3.4
(1月)
−3.0
(1月)
−3.2
(1月)
−2.1
(1月)
−3.0
(1月)
−2.3
(1月)
−2.5
(1月)
−1.5
(1月)
−1.7
(1月)
−1.7
(1月)
−1.3
(1月)
−0.7
(1月)
降水量
(mm)
最多月 179.2
(9月)
185.4
(8月)
194.2
(8月)
197.7
(8月)
264.8
(7月)
32.1
(1月)
170.0
(8月)
177.8
(8月)
215.3
(7月)
170.6
(8月)
170.5
(8月)
189.8
(8月)
157.1
(8月)
184.5
(8月)
171.7
(8月)
175.5
(8月)
最少月 49.5
(2月)
35.0
(1月)
37.1
(2月)
32.0
(1月)
157.5
(3月)
131.4
(3月)
36.0
(1月)
50.6
(1月)
64.5
(2月)
42.9
(1月)
41.5
(1、2月)
55.1
(1月)
43.0
(1月)
49.6
(1月)
27.4
(12月)
34.6
(12月)

広袤(こうぼう)

[編集]
節内の全座標を示した地図 - OSM
節内の全座標を出力 - KML

国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、岩手県の面積は15,275.05平方キロメートルである[3]

岩手県の東西南北それぞれの端は以下の位置である[4][5]。東端は魹ヶ崎(本州最東端)、西端は黒森峠の北東約2km、南端はJR東日本東北本線油島駅の東南東約6.7km、北端はJR東日本八戸線角の浜駅の北約1kmである。加えて、重心も併記する[6]。また総務省統計局の平成27年国勢調査によると、人口重心は紫波郡紫波町佐比内字砥ケ崎にある[7]

岩手県の広袤
重心
北緯39度35分39秒 東経141度21分32秒 / 北緯39.86317度 東経141.35889度 / 39.86317; 141.35889 (岩手県重心)

北端
北緯40度27分02秒 東経141度40分57秒 / 北緯40.45056度 東経141.68250度 / 40.45056; 141.68250 (岩手県最北端)
人口重心
北緯39度30分28.55秒 東経141度17分28.18秒 / 北緯39.5079306度 東経141.2911611度 / 39.5079306; 141.2911611 (岩手県人口重心)
西端
北緯39度23分28秒 東経140度39分11秒 / 北緯39.39111度 東経140.65306度 / 39.39111; 140.65306 (岩手県最西端)
岩手県庁舎所在地
北緯39度42分13秒 東経141度09分09秒 / 北緯39.70361度 東経141.15250度 / 39.70361; 141.15250 (岩手県庁)
東端
北緯39度32分48秒 東経142度04分21秒 / 北緯39.54667度 東経142.07250度 / 39.54667; 142.07250 (岩手県最東端)

南端
北緯38度44分52秒 東経141度13分53秒 / 北緯38.74778度 東経141.23139度 / 38.74778; 141.23139 (岩手県最南端)

地域

[編集]
岩手県 地域区分図
(2007年)

総面積で全国2位だが、可住地面積割合が24.3%と低く全国40位で、可住地面積では全国5位に下がる(都道府県の面積一覧#2014年 面積の順位を参照)。可住地は大別して内陸部(人口100万人程度)と、沿岸部(20万人程度)の2つ。このうち、内陸部には東北新幹線東北縦貫自動車道などの高速交通インフラが整っているが、その他の地域ではインフラが未発達で、地域間移動は国道在来線レベルに留まっている。特に、内陸部と沿岸部を行き来するためには、一般国道県道は急峻な峠を上り下りする道となっており、直線距離の割に、移動に大きな時間を要する結果を招いている。このような状況は、県土が多数のによって構成されている沖縄県とも相似しており、救急医療においてはヘリコプター輸送が行われているほどである。

交通インフラの未整備に起因して、短時間で県庁にたどりつけない県民が多数存在することから、従来岩手県庁は、県内各所に「地方振興局」を設置、県の総合出先機関として機能させてきた。近年にいたって、平成の大合併で市町村数が大幅に減少したことを契機として、2006年(平成18年)4月に地方振興局の再編を実施。高速交通インフラが整った内陸部では、細かい地域圏に分割せず、県の中枢機能が集まる盛岡市広域と、県南地域との南北2分割に統合した。県南地域については、従来多くの広域生活圏の設定があったが、それらを一まとめに統合して、新たに設立した「県南広域振興局」の管轄とした。この結果、従来12だった広域生活圏は、4に減少した。

県内地域区分

広域振興局は以下4つに分けられる。

圏域は以下9つに分けられる。

  • 盛岡圏域(岩手地域・盛岡地域・紫波地域)
  • 岩手中部圏域(和賀地域・花巻地域・遠野地域)
  • 胆江圏域
  • 両磐圏域
  • 宮古圏域
  • 釜石圏域
  • 気仙圏域
  • 二戸圏域
  • 久慈圏域

自治体

[編集]

各広域振興局ごとに県内市町村を列記する。県内には14市10郡15町4村がある。「町」の読み方は、葛巻町、岩手町、西和賀町、山田町、軽米町、一戸町の6つが「まち」で、他は全て「ちょう」である。村はすべて「むら」と読む。

盛岡広域振興局管内 482,482人

県南広域振興局管内 514,132人

沿岸広域振興局管内 218,744人

県北広域振興局管内 133,932人

都市圏

[編集]

都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷

1980年 1990年 1995年 2000年 2005年 2010年 2015年
盛岡 都市圏
382706人
盛岡 都市圏
418459人
盛岡 都市圏
461605人
盛岡 都市圏
475541人
盛岡 都市圏
450392人
盛岡 都市圏
474395人
盛岡 都市圏
470414人
水沢 都市圏
124722人
水沢 都市圏
142279人
水沢 都市圏
143633人
北上 都市圏
220258人
北上 都市圏
215745人
北上 都市圏
194576人
北上 都市圏
191213人
花巻 都市圏
97389人
一関 都市圏
111629人
一関 都市圏
117414人
水沢 都市圏
133028人
一関 都市圏
149496人
奥州 都市圏
141071人
奥州 都市圏
135317人
一関 都市圏
92459人
花巻 都市圏
98853人
花巻 都市圏
99643人
一関 都市圏
110034人
水沢 都市圏
125216人
一関 都市圏
135987人
一関 都市圏
129451人
釜石 都市圏
86538人
北上 都市圏
82851人
北上 都市圏
87969人
花巻都市圏は
北上都市圏と合一
宮古 都市圏
80392人
宮古 都市圏
78047人
宮古 都市圏
72502人
北上 都市圏
76633人
釜石 都市圏
71542人
宮古 都市圏
87499人
宮古 都市圏
84406人
釜石 都市圏
59503人
釜石 都市圏
54850人
釜石 都市圏
48561人
宮古 都市圏
73014人
宮古 都市圏
68052人
釜石 都市圏
67748人
釜石 都市圏
64000人

「南北沿岸」の所得格差

[編集]

北上市など県の南部では経済発展によって所得水準が大きく向上している。一方の内陸北部・沿岸部では目立った経済的発展がなく発展が遅れがちで、所得格差が存在している。統計資料で比較すると、県全体の平均所得が242万円なのに対し、県北の中心都市二戸市久慈市では、190万円台にとどまり、50万円以上もの格差が存在している[9]岩手県庁は2006年、県北・沿岸振興本部を設置して対策に乗り出したが、南北の格差は逆に拡大傾向すら呈しており、根本的な対策が求められている[10]

隣接自治体

[編集]

歴史

[編集]

先史・古代

[編集]

約4万年 - 3万3000年前には、斜軸尖頭器を出土した柳沢舘遺跡(奥州市)や金取遺跡遠野市)などが存在した。また、ハナイズミモリウシ をはじめとする動・植物化石が多量に発見された金森遺跡一関市)などの遺跡から旧石器時代から人が住んでいたと考えられる[11][12]

古くは縄文時代より豊かな狩猟・漁労生活を実現した地だった。近年の東北学では、上代の北上川流域は蝦夷の中心地で、日高見国とも呼ばれていたという説が唱えられている(また、日高見国の名が北上川という地名や、「日本国」という国名のもととなったとも)。一方で、胆沢角塚古墳は最北の前方後円墳であり、ヤマト王権の影響力が及ぶ北の端でもあった。

北東北地域は、律令国家の形成期である7世紀後半にはまだその支配に組み込まれておらず、蝦夷は朝廷側からは征伐の対象であった。8世紀末の38年戦争では胆沢に蝦夷の軍事指導者アテルイが現れて朝廷軍に抵抗するが、征夷大将軍に任ぜられた坂上田村麻呂によって滅ぼされる。その後北上川流域は朝廷が掌握し、蝦夷の多くが全国に強制移住させられた。残った蝦夷は、俘囚として支配体制に組み込まれ、同時に胆沢には関東地方から柵戸として入植者が入った。

11世紀までに奥六郡(現在の岩手県内陸部)を拠点として糠部(現在の青森県東部)から亘理・伊具(現在の宮城県南部)にいたる広大な地域に影響力を発揮した俘囚長の安倍氏が半独立の勢力を築いた。安倍氏は前九年の役で源頼義の率いるヤマト朝廷軍になびいた秋田仙北の俘囚主清原氏によって滅ぼされた。その清原氏も一族の内紛から後三年の役で滅び、安倍氏の血を引く奥州藤原氏江刺郡豊田館から磐井郡平泉に拠点を移動して奥州を掌握、豊かな産金をもとに仏教を基盤とする地域支配を実現し、その平泉時代を築いた。

中世

[編集]

平泉が源頼朝に攻略され再び源氏が統治した鎌倉時代には甲斐国南部の河内地方を領した甲斐源氏南部氏が八戸周辺に移住し、今の青森県から岩手県北及び秋田県鹿角地方にまで勢力を伸ばした。沿岸部では閉伊氏、県央部では斯波氏稗貫氏阿曽沼氏和賀氏などが割拠し、県南部は葛西氏留守氏が有力だったが、次第に福島県伊達郡に根城を置く伊達氏の勢力が浸透し、室町時代には葛西氏留守氏は伊達の馬打ちとして事実上支配下に置かれた。

これらの諸氏は伊達氏の内紛によって再び自立するが、伊達政宗の仙台移封を機会に葛西氏は滅亡、留守氏は伊達氏の一族として組み込まれた。同じころ、安倍氏の末裔である一方井氏を母に持つ南部氏の南部信直が勢力を拡大し、南部所属の頭領として振舞うようになると、これを認めない九戸南部氏の九戸政実と争い、豊臣秀吉の知遇を得た信直は秀吉軍を招きいれて政実を滅ぼした(九戸政実の乱)。大浦氏以外の南部氏諸家を統一した信直は盛岡に拠点を移し、勢力を確立した。

近世

[編集]

江戸時代には、県の南部は概ね仙台藩伊達氏に62万石、一関藩田村氏水沢には留守氏(水沢伊達氏)が置かれ、北部は移封も無く盛岡藩南部氏によって20万石統治された。幕末に東北諸藩が奥羽越列藩同盟(北部政府)を作ると、現在の岩手県を支配していた伊達藩・南部藩はその中心となるが、結局敗れて明治政府によって占領された。

近代以降

[編集]
東北新幹線の路線図

明治3年7月10日1870年8月6日)、盛岡藩は財政難により廃藩置県に先立って廃藩を申し出、旧領には明治政府により盛岡県が設置された。盛岡県成立時の管轄地域は陸中国岩手郡稗貫郡および紫波郡和賀郡の一部のみで、新政府に敗れる前の盛岡藩より大幅に縮小された。

その後、莫大な御用金を課せられたり、旧藩を分断する県域を設定され弱体化を図られるなど敗戦の屈辱を味わう。(ただし盛岡藩の廃藩置県の折に課せられた70万両の納付は減免されている。) 以降は旧藩を問わず多くの人材を輩出。原敬内閣総理大臣に就任するなど、近代日本国家建設に多くの功があった。また中央へ人材を輩出した。

県域は明治4年(1871年)の第1次府県統合ではほとんど変わらず、明治5年1月8日(1872年2月16日)には盛岡県から岩手県に改称[13]1876年(明治9年)の第2次府県統合で磐井県から胆沢郡江刺郡磐井郡を、青森県から二戸郡を編入したが、前者はおおむね旧仙台藩領であり、旧藩が分断された状態は是正されなかった。

1876年(明治9年)1月に最初の県議会が開かれ、5月に岩手県が成立した。県名はそれまでの県庁所在地の郡名を採って付けられた。

1889年(明治22年)に、南岩手郡盛岡が岩手県下で初めて市制施行し、盛岡市となる。1937年昭和12年)には製鉄業によって発展した上閉伊郡釜石町が市制施行して釜石市となる。1941年(昭和16年)には下閉伊郡宮古町・山口村・千徳村・磯鶏村が合併・市制施行して宮古市となり、戦前までに3市が誕生した。

1934年(昭和9年)、極端な冷害による昭和農業恐慌が発生。欠食児童の大量発生や婦女子の身売りが相次ぎ社会問題となった[14]

1937年(昭和12年)2月、県内に記録的な豪雪。雪崩などによる死者・行方不明者62人以上[15]。鉄道の運行も困難となり、盛岡保線事務所は除雪人夫1700人を動員して県内各地の除雪に当たった[16]

1947年(昭和22年)8月、昭和天皇が県内各地に出向く戦後巡幸を行う。同月7日、県庁を訪問した際には、バルコニーから県民の奉迎に応えた[17]

1961年(昭和36年)5月28日新里村の山林から出火。フェーン現象による強風に煽られ田老町宮古市岩泉町普代村久慈市にいたる40万ha以上に延焼する大規模火災(山火事)となった。死者5人、負傷119人、全焼住宅1235棟。このうち田老町ではラサ工業田老鉱山住宅448棟が被害にあったほか、普代村では普代村立黒崎小学校の校舎が全焼した[18]

その後、1964年(昭和39年)に花巻空港が開港、1982年(昭和57年)に東北新幹線大宮 - 盛岡間が開業して、首都圏からは約3時間、仙台からも1時間圏内(当時)となり、交通の便は改善された。これに伴って、安価で広大な土地や豊富な水などを背景に、北上市金ケ崎町周辺を中心として工場の進出が急激に進展。関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)などの自動車産業、東芝富士通などの半導体工場、塩野義製薬など大企業の工場の進出が進み、製造品出荷額が大きな伸びを見せた[19]

2008年平成20年)には、6月14日に岩手・宮城内陸地震(最大震度6強)が、7月24日に岩手県沿岸北部地震(最大震度6弱)の大地震が発生した。さらにその3年後の2011年(平成23年)3月11日、国内観測史上最大の超巨大地震となるマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震(最大震度7)が発生し、沿岸部の各地で津波による大きな被害が出た。

人口

[編集]
岩手県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出)
増加
  0.0 - 2.5 %
減少
  0.0 - 2.5 %
  2.5 - 5.0 %
  5.0 - 7.5 %
  7.5 - 10.0 %
  10.0 % 以上
岩手県と全国の年齢別人口分布(2005年) 岩手県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 岩手県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
岩手県(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 1,371,383人
1975年(昭和50年) 1,385,563人
1980年(昭和55年) 1,421,927人
1985年(昭和60年) 1,433,611人
1990年(平成2年) 1,416,928人
1995年(平成7年) 1,419,505人
2000年(平成12年) 1,416,180人
2005年(平成17年) 1,385,041人
2010年(平成22年) 1,330,147人
2015年(平成27年) 1,279,863人
2020年(令和2年) 1,210,534人
総務省統計局 国勢調査より

岩手県人口動態

[編集]

2024年現在約114万人となっていて減少傾向が続いている。2020年の国勢調査では秋田県に次ぐ全国ワースト2位の減少率(全国46位)を記録した。 岩手県の人口は1961年に1,449,324人とピークを迎えたが、高度経済成長期の大規模な人口流出(社会減)が起こり、1970年には137万人まで減少した。1970年代以降は人口流出は収まり1977年には再び140万人台に回復して持ち直し基調となった。昭和末期から平成初期にかけては安定して推移していたが、2000年以降は人口減少が大幅に拡大している。近年の人口減少率は青森県とほぼ同水準で推移している。盛岡市や北上市などの内陸部では堅調に推移しているが,宮古市や釜石市といった沿岸部の人口減少が大きくなっている。

表1. 国勢調査結果に基づく岩手県の人口推移
実施年 人口(人) 増減人口(人) 人口増減率(%) 国内増減率(%) 増加率全国順位
1960年 1,448,517 - - - -
1965年 1,411,118 減少 37,399 減少 2.58 増加 5.20 32位
1970年 1,371,383 減少 39,735 減少 2.82 増加 5.54 38位
1975年 1,385,563 増加 14,180 増加 1.03 増加 7.92 40位
1980年 1,421,927 増加 36,364 増加 2.62 増加 4.57 38位
1985年 1,433,611 増加 11,684 増加 0.82 増加 3.40 42位
1990年 1,416,928 減少 16,683 減少 1.16 増加 2.12 39位
1995年 1,419,505 増加 2,577 増加 0.18 増加 1.58 33位
2000年 1,416,180 減少 3,325 減少 0.23 増加 1.08 29位
2005年 1,385,041 減少 31,139 減少 2.20 増加 0.66 39位
2010年 1,330,147 減少 54,894 減少 3.96 増加 0.23 44位
2015年 1,279,863 減少 50,553 減少 3.80 減少 0.75 41位
2020年 1,210,534 減少 69,060 減少 5.40 減少 0.75 46位
  • 平成27年国勢調査における前回調査からの人口増減率は3.80%の減少で、全国の0.75%を3%以上下回った。47都道府県中では41位(首位は沖縄県の2.93%増加、最下位は秋田県の5.79%減少)だった。県内市町村では上位が滝沢市の2.98%増加、矢巾町の1.74%増加、北上市の0.40%増加、盛岡市の0.24%減少。下位が大槌町の23.02%減少、陸前高田市の15.20%減少、山田町の14.99%減少となっており、内陸部への集積、沿岸部の減少が顕著となっている[20]。この動向によって県の人口重心も前回調査の花巻市内川目[21] から西北西へ686メートルと大きく移動し、紫波郡紫波町佐比内字砥ケ崎にある[7]
  • 2016年10月1日現在の推計人口は1,268千人であり、日本の総人口126,933千人の1%を割り込んだ。また47都道府県では32位だった[22]

政治

[編集]

県政

[編集]

財政と事業

[編集]

1995年(平成7年)以降、細川内閣(当時)の打ち出した大規模景気対策に乗って公共投資を拡大させ、その後1997年(平成9年)まで、積極投資を拡大させた。当時県知事を務めていた増田寛也は、退任後の取材に「国の財政的限界で、いずれ予算が回らなくなるのは分かっていた(中略)…東北新幹線花巻空港釜石自動車道など(骨格的な事業)は、先にやってしまおうと思った」と答えている[23]。結果的には彼の読み通り、小泉内閣が発足した2001年(平成13年)以降、公共投資予算は年10%以上の割合で急速に縮減され、財政再建に大きく舵を切った。

県自らも、県議会での質問に答える形で、財政悪化の原因について自己分析している(→増田寛也#公共投資など参照)。

平成20年度
平成19年度
  • 財政力指数 0.31
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中8位
平成18年度
  • 財政力指数 0.29
    • IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中1位
平成17年度
  • 財政力指数 0.27
    • IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中5位
平成16年度
  • 財政力指数 0.26
    • IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中5位

国政

[編集]

衆議院小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。

経済・産業

[編集]

かつては産業がほとんどない事を自称していたが、東北新幹線東北縦貫自動車道などの整備に伴って、企業の誘致が進んでいる。企業の誘致には、法人道府県民税収や、法人事業税、従業員からの住民税収、関連企業による経済波及効果などで大きな税源涵養が見込まれることから、全国の自治体が誘致にしのぎを削っている。岩手県もこの例に漏れず、誘致に腐心しており、これまでにトヨタ自動車系の生産工場、東芝フラッシュメモリ工場、富士通などを誘致した。こうした奏功から、1995年(平成7年)以降は製造品出荷額が伸びを示し、47都道府県中、県民所得は40位台後半から、38位にまで改善した。東北6県で見ると、福島県宮城県山形県に続く数字である[24]

特に自動車産業については、トヨタ自動車が東北地方を新たに生産拠点と位置付けており[25]、今後とも一層の誘致が見込まれる産業分野である。

さらに、近年は国際リニアコライダーを軸とした国際学術研究都市構想を表明している[26]

貯蓄率が極めて高いことで知られる。地方の県としては珍しく、県内に3行の地方銀行第二地銀を含む)を持ち、保有する金融資産は4兆円以上に達する。県民の貯蓄率は39%で、東北地方平均の25%、全国平均の16.5%を大きく上回り、東北では宮城県に次いで2位、全国でも9位の高率を保つ[27]

岩手県内の市町村の域内総生産(単位: 100万円)
市町村名[28] 広域振興圏名[28] 2014年度[28] 2015年度[28] 2016年度[28] 2017年度[28]
盛岡市 県央 1,075,077 1,082,427 1,053,221 1,052,324
八幡平市 91,823 85,645 86,711 87,377
滝沢市 126,355 130,206 120,435 121,066
雫石町 54,955 54,745 51,297 51,915
葛巻町 21,313 23,437 20,030 20,370
岩手町 41,796 39,949 38,195 37,285
紫波町 84,930 84,705 82,997 84,123
矢巾町 120,279 137,131 124,796 148,397
花巻市 県南 337,090 333,772 330,650 317,143
北上市 376,158 378,560 372,329 401,422
遠野市 100,755 109,403 96,021 106,452
一関市 380,553 388,498 375,927 377,680
奥州市 364,164 384,323 398,170 403,685
西和賀町 20,624 21,814 18,587 18,957
金ケ崎町 112,032 84,748 83,732 138,070
平泉町 22,188 24,121 24,558 23,046
宮古市 沿岸 241,241 263,401 265,017 252,145
大船渡市 207,410 207,908 179,184 170,532
陸前高田市 93,154 84,993 81,400 66,234
釜石市 193,596 201,952 172,929 188,599
住田町 18,112 17,985 20,510 21,913
大槌町 46,679 43,695 41,989 44,200
山田町 59,292 70,525 72,724 61,777
岩泉町 41,778 41,692 35,858 39,650
田野畑村 17,631 21,670 15,961 17,829
久慈市 県北 133,387 134,011 128,151 128,956
二戸市 103,241 101,549 100,695 99,599
普代村 11,052 12,785 14,745 16,134
軽米町 28,309 28,676 27,408 27,458
野田村 21,355 24,321 20,577 20,827
九戸村 19,058 19,752 20,036 20,852
洋野町 44,307 46,465 42,306 47,057
一戸町 37,808 38,048 37,784 38,162

産業

[編集]

農林水産業

[編集]

2006年(平成18年)農林水産統計によると、農業産出額は2,544億円。食料自給率は106%であり[29]北海道青森県秋田県山形県などとともに、自給率100%を超える数少ない県の一つである。広大な面積と、山岳に囲まれた地形のため、地域によって気候が大きく異なる所があり、特性に応じてさまざまな形態の農業が営まれている。コメの品種は「ひとめぼれ」などが多かったが、2000年代以降県内の気候に適した2品種「銀河のしずく」と「金色の風」を相次いで投入した。米以外の穀物では花巻市を中心に雑穀の生産が有名。畜産も盛んでありブランド牛肉である前沢牛のほか、青森県との境に近い北部を中心にブロイラーの生産が盛んであり、九州南部に次ぐ大産地となっている。かつての北上山地では焼畑農業が盛んであったため[30]、これが後述のアカマツの多さなどほかの産業にも影響を与えていると見られている。

林業では幹が通直で高品質なアカマツが有名で県の木としても指定されている。特に北上山地や三陸沿岸北部のアカマツは品質が高く南部赤松と呼ばれ、秋田のスギや青森のヒバと並ぶ北東北のブランド木材である。アカマツが多いことからアカマツと共生するマツタケの出荷も多く、2010年代以降は長野県と並ぶ2大産地の一つとなっている[31]。一方でアカマツの致死性の伝染病であるマツ材線虫病(松くい虫)の北限地域であり徐々に被害が拡大していることから影響が懸念されている。住宅構造の変化により梁や柱を見せなくなったことや伝染病の流行により高級アカマツ材の市場が減少していることなどから、尾根沿いにはアカマツではなくカラマツを植えることも増えてきている。全国的に高級木材として知られるヒノキは天然分布せず、寒冷地であり漏脂病という致命的な病気のリスクが高いことから沿岸南部を除いて植栽されることもない。 アカマツ以外にはミズナラを中心としたブナ科広葉樹による木炭の生産でも知られ、木炭では特に黒炭の生産量が全国一である。こちらもナラ枯れと呼ばれるミズナラに致死性の伝染病が県内でも確認されている。県北部の二戸市(旧:浄法寺町)ではウルシの栽培が盛んで樹液を精製したの国内最大の産地となっている。県が木質バイオマス事業などの自然エネルギー活用に熱心なこともあって、生産高188億円(2005年(平成17年))と、全国5位の数字を出している。

農林関係の国の研究機関が立地していることでも知られ、農林水産省管轄の東北農業研究センター森林総合研究所東北支所はいずれも盛岡市郊外にある。

水産業では、三陸海岸周辺が、黒潮による豊かな漁場として知られている。リアス式海岸の岩礁は、ワカメ海苔といった海藻類の養殖にも適しており、ワカメとあわびの養殖で、生産高全国1位の規模を持つ。カキ(牡蛎)ホヤの養殖も盛ん。珍しいものでは陸前高田市広田湾におけるエゾイシカゲガイ養殖が知られる。流通量が少なく高値で取引される。

商工業

[編集]

製造品出荷額は2兆1000億円で、東北地方では福島県(全国順位19位)、宮城県(同24位)、山形県(同28位)に次いで4位(同31位)である。

長らく主要な産業新日本製鐵(現:日本製鉄釜石製鉄所釜石市)、太平洋セメント大船渡工場大船渡市)ほどしかなく、政府の救済策を求めたこともあったが、1982年(昭和57年)に東北新幹線大宮・盛岡間が開業すると、企業誘致が徐々に進展した[19]1993年(平成5年)に関東自動車工業金ケ崎町(現・トヨタ自動車東日本岩手工場)が進出して以来、製造業は大きく進展し、県民所得は全国40番台後半から、30番台まで向上した。このほか、県南には富士通塩野義製薬東芝などの工場が立地する。

特に、2008年(平成20年)2月に決定された東芝フラッシュメモリ工場の北上市への建設は、波及効果を合わせると1兆円程度の経済効果があるとされ、県は法人事業税減免や低利融資などを通じて、これを後押しするとしている。東芝が「行政からの融資措置だけでなく、質の高い人材の確保が容易なことが決め手になった」とし、「金のかからない新しい産業誘致モデル」として注目された[32][33]。工場新設に当たって、北上市はこれまでに蓄積した企業誘致と合わせて、法人市民税固定資産税の大きな増収が見込まれることから、国から地方交付税の交付を受けない「不交付団体」への昇格を果たすことになった。岩手県では、かつて製鉄業が隆盛を極めていた時代に釜石市が不交付団体となっていた前例があり、「それに次ぐ快挙」(2008年(平成20年)2月・岩手県知事定例記者会見)と評された。

自動車産業に関しては、トヨタ自動車が、東北地方を新たな生産拠点とする意向を示しており[25]、すでに金ケ崎町に立地する自動車工場も、現行より10万台増の25万台生産規模まで拡大されることが決まっている。自動車関連産業の集積を進めるため、岩手県は、トヨタ自動車東日本が進出している宮城県や山形県、福島県などと連携して、今後も誘致活動を展開していくとしている。

県内に拠点を誘致した主な製造業
[編集]

サービス業

[編集]
盛岡さんさ踊りの様子

観光業の振興に腐心している。2007年(平成19年)には、盛岡市を舞台にしたNHK連続テレビ小説どんど晴れ」が放映され、盛岡さんさ踊りに訪れた観光客が8.7%増えて128万3000人となり[34]、一定の効果が上がっている。2011年(平成23年)には、奥州藤原氏の栄華の遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」(平泉町)が世界遺産文化遺産)に登録された。

交通

[編集]

県庁所在地の盛岡市は、県内のみならず北東北の広域交通網を束ねる拠点として機能しており、新幹線に接続して北東北各地への高速バスが多数発着するほか、盛岡駅では東北新幹線「はやぶさ」と秋田新幹線「こまち」の分割・併合も実施している。

鉄道

[編集]

岩手県の鉄道網は充実しており、県内の鉄道の総延長は1,000kmを超え、都道府県別では北海道東京都に次いで第3位である。[35]

県北の軽米町葛巻町九戸村以外の全ての自治体に鉄道またはBRTが存在する。[36]

盛岡駅

東北新幹線で、首都圏仙台青森と結ばれる。その停車駅でもある盛岡駅は県庁所在地にあり、複数の路線が接続するなど拠点性を有している。

旧国鉄のJR東日本のほか、新幹線の新規開業に伴う並行在来線として分離した第三セクター鉄道IGRいわて銀河鉄道および、旧国鉄の既設線および予定線を承継した三陸鉄道がある。

東日本大震災や新型コロナウイルスによる影響で利用者が著しく減少しており、東北本線や田沢湖線以外の殆どの路線は輸送密度が1,000人を下回っている。[2] 既に岩泉線については事業者より廃止届が提出され、2014年4月1日をもって廃止されバスに転換された[37][38]

貨物扱いについては、盛岡貨物ターミナル駅盛岡市都南地区及び紫波郡矢巾町)および水沢駅奥州市水沢地区)が貨物駅となっている。

県内のその他の路線は下記を参照。なお、普通列車の運転頻度は盛岡市内近郊の区間[注釈 2] を除いて毎時1本以下である。また、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。

路線バス

[編集]
岩手県交通バス

沿岸部と内陸部(特に対北部)を結ぶ鉄道のダイヤが極端に少ないため、公共交通による県域横断の手段としては長距離バスが主力になっている。

自動車交通

[編集]

内陸部の縦軸の交通には、東北縦貫自動車道国道4号など、自動車を用いた高速交通インフラが整っている。その反面、内陸部と沿岸を結ぶ「横軸」の交通は、いまだ急勾配・急カーブの一般国道レベル(国道106号など)に留まっている。また、道路の舗装率も低く全国最下位である。なお、盛岡市内は道路が入り組んでいることと外環状バイパス道路の整備が不十分であることから、特に朝夕の混雑が激しい。

秋田県秋田市とは、仙岩道路国道46号バイパス)で結ばれており、トンネル橋梁の整備で比較的スムーズな移動が可能である。また地域高規格道路である盛岡秋田道路が整備中で橋場バイパス角館バイパスが一部供用中である。

高速道路については首都圏を除いた政令指定都市を抱えていない県では唯一100km/hを超えて走行可能である。

高速道路

[編集]

一般国道

[編集]

県道

[編集]

自動車のナンバープレート

[編集]

運輸支局は、広大な県土に対し紫波郡矢巾町所在の本局1箇所のみであり、配下の車両検査事務所は存在しない。

県内で登録される自動車のナンバープレートの地名表記は「岩手」であるが、2014年11月17日より盛岡地域(盛岡市、八幡平市、滝沢市、紫波町、矢巾町)において「盛岡」ナンバー、胆江・両磐地域(奥州市、一関市、金ケ崎町、平泉町)において「平泉」ナンバーの使用が開始された。 ご当地ナンバーも参照。

空港

[編集]

港湾

[編集]

重要港湾および主な関連施設を以下に列挙する。

医療・福祉

[編集]

災害拠点病院

保育所

教育

[編集]
岩手県立大学の正門

概要

[編集]

高校進学率は98.4%と、全国平均を上回るが、大学進学率が逆に10%以上低い[39]私立学校の数が少ないため、公立学校が圧倒的な比重を占めている。

学力向上策
大学入試センター試験の平均点が全国最下位[40] なことから、県は予算を投じて学力の向上に取り組んでいる。2005年(平成17年)度からは、県費で予備校講師を招く事業を行っているが、この取り組みが主要進学校のみで行われていることに、「主要進学校の実績は堅調なのだから、進学率向上には、それ以外の高校での対策も重要」との意見もある。

なお、首都圏の大学に進学すると費用が高額に上りがちなことから、その対策として、当初は看護系単科大学となる予定だった岩手県立大学を、総合大学に路線変更したこともある。

2009年に一関市の一関第一高等学校に付属中学を設置し、リーダー育成を主眼とした中高一貫教育にも取り組んでいる。

教育機関

[編集]
大学
国立
公立
私立
通信制大学
私立
短期大学
公立
私立
高等専門学校
国立
専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園
その他教育機関
農業大学校
職業能力開発短期大学校
海上技術短期大学校

報道・通信

[編集]

新聞社

[編集]

全国紙・広域(ブロック)紙

[編集]

全国紙は全て東京本社発行の紙面となる。なお地域ニュース面は読売・朝日・毎日は岩手面だが、産経・日経・河北は岩手単独ではなく東北6県版として掲載。スポーツ紙(スポーツニッポン日刊スポーツスポーツ報知サンケイスポーツ)の地域ニュース面は全紙が岩手単独ではなく東北6県版となっている。 ラテ欄 テレビは、朝日・毎日・読売は在盛(盛岡に所在)局を中心に掲載。それ以外は、青森・秋田・岩手の「北東北」3県をまとめて一つの版とする新聞が多い。ただし青森・秋田は民放3局に対し、岩手は民放が4局存在するため、スペースの都合上、岩手の放送局は一列に並ばず、一部局が下段に下げられる、あるいはいわゆる「ハーフサイズ」で掲載する新聞もある。ラジオは、東北各県のAM・FMを掲載している新聞が多いが、聴取困難な福島県の放送局は割愛される場合もある。

地方紙

[編集]
ラテ欄
  • 岩手日報がTVは在盛局を最終面にフルサイズ掲載。ラジオ面(中面)には「第2TV」として在青局&在仙局をハーフサイズ掲載。ラジオは在盛局・コミュニティFMのみで他県局は非掲載。
  • 岩手日日はTVが在盛局を最終面にフルサイズで、在仙局はその右隣にハーフサイズで各々掲載。ラジオは在盛局と在仙局を中面に掲載し、TV面とは完全に分割されている。
  • デーリーは青森県三八上北地方が取材・購読地域の中心であることから、在盛局はmitのみ最終面に在青局と同一サイズで掲載し、その他在盛局はその右隣にハーフサイズ掲載。ラジオは中面に在盛局・在青局同一サイズで掲載(その右隣には在京AM局=TBS・QR・LFを極小サイズで掲載)。
通信社
[編集]

放送局

[編集]
  • デジタルテレビ・県域FM局・補完FM局の親局送信所はいずれも新山 (紫波町)に設置されている。
県域放送
[編集]
日本放送協会 (NHK) 盛岡放送局
地上デジタルテレビ放送(地デジ)リモコンID : 総合1、教育2
IBC岩手放送 (IBC)
テレビ:JNN系列・地デジリモコンID : 6。 ラジオ:JRNNRN系列。1953年(昭和28年)12月25日ラジオ開局・1959年(昭和34年)9月1日TV開局)[注釈 3]
テレビ岩手 (TVI)
NNNNNS系列、地デジリモコンID : 4。1969年(昭和44年)12月1日開局[注釈 4]。通常時終夜放送を行っている。かつてはANNにも加盟していた。
エフエム岩手 (FMI)
JFN系列、1985年(昭和60年)10月1日開局[注釈 5]
岩手めんこいテレビ (mit)
FNNFNS系列、地デジリモコンID : 8。1991年(平成3年)4月1日開局[注釈 6][注釈 7]
岩手朝日テレビ (IAT)
ANN系列、地デジリモコンID : 5。1996年(平成8年)10月1日開局
コミュニティ放送
[編集]

ケーブルテレビ

[編集]

県内の民間放送局が2局しか無かったころは、仙台放送東日本放送を中心に宮城県の民間放送局の再送信が行われていたが、民間放送局が4局揃った現在では再送信は全て中止されている。

文化・スポーツ

[編集]

方言

[編集]

岩手県の方言研究は、南部藩士である服部武喬が1790年(寛政2年)に著した『御国通辞』において黎明とされる。『御国通辞』では主に日常的に使用される語彙567語を、江戸語の「こほる(凍る)」と盛岡方言の「しみる」に対応させて挙げ連ねる形をとっている。服部武喬前後の研究として、黒川盛隆の『谷の下水(1799年)』と小本村司の『杜陵方言考(1877年)』があり、いずれも語彙集である。

1903年(明治36年)に国語調査委員会の方言調査が実施されたのをきっかけに、各地域の学校・個人による調査・研究が盛んに行なわれた。大きく2地域から4地域に分けられるとされ、4地域に分ける場合、洋野町から西和賀町まで秋田・青森県に隣接する帯状の北部方言地域、久慈市沿岸から釜石市北部までの沿岸方言地域、盛岡を中心に遠野市中部・北上市北部までの中部方言地方、横は金ケ崎町から大船渡市までの南部方言地方となる[41]

食文化

[編集]

郷土料理

名産品・料理

伝統工芸

[編集]
経済産業大臣指定伝統的工芸品

伝統工芸品

スポーツ

[編集]

岩手県ではプロ野球選手メジャーリーガーを多数輩出していて、大谷翔平ロサンゼルスエンゼルス)、菊池雄星トロントブルージェイズ)、佐々木郎希千葉ロッテマリーンズ)らを輩出している。

サッカー
フットサル
ラグビー

観光

[編集]

世界遺産

[編集]

有形文化財建造物

[編集]
国宝

岩手県出身の人物

[編集]

県民栄誉賞受賞者

[編集]

広く県民に敬愛され、県民に明るい希望と活力を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を讃えることを目的とする[42]

  1. 新日本製鐵株式会社 釜石製鉄所ラグビー部(1985年1月)
  2. 日蔭暢年(1985年10月)
  3. 三ヶ田礼一(1992年2月)
  4. 盛岡商業高等学校サッカー部(2007年1月)
  5. 花巻東高等学校硬式野球部(2009年10月)
  6. 岩清水梓(2011年8月)
  7. 小林陵侑[43](2019年5月)
  8. 小林陵侑(2回目)[44](2022年5月)

岩手県を舞台とした作品

[編集]

文芸

[編集]

音楽

[編集]

映画

[編集]

ドラマ

[編集]

漫画・アニメ

[編集]

ゲーム

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 例えば県出身者の宮沢賢治が「巌手県」を使用していたことが宮沢賢治記念館が所蔵する郵便物で確認できる。
  2. ^ 東北本線の北上駅・日詰駅 - 盛岡駅間およびIGRの盛岡駅 - 滝沢駅・好摩駅間は毎時2本程度。
  3. ^ JNN系列局が存在しない秋田県の全国報道取材も行う。CATV経由で秋田市にも再送信。
  4. ^ 開局当初は盛岡市茶畑二丁目に本社演奏所があった。のちに現在地の盛岡市内丸に移転。
  5. ^ 開局当初は盛岡市盛岡駅前通8番17号の小岩井明治安田ビル2階に本社演奏所があったが、2006年(平成18年)に現在のTVI本社ビル7階へ移転。
  6. ^ 開局当初は水沢市佐倉河に本社演奏所を、盛岡市本宮に業務センターを置いていたが、のちに盛岡業務センターを本社に格上げ・機能拡充する形で演奏所を移転。奥州市の旧本社跡は「めんこい美術館」に衣替えし、業務センターは奥州市に置かれて現在に至る。
  7. ^ FNN/FNS系列局が存在しない青森県の全国報道取材も行う。CATV経由で青森県三八上北地方にも再送信(折爪岳からの電波の直接受信も可)。

出典

[編集]
  1. ^ 国土地理院. “全国都道府県市区町村別面積調”. 2014年7月17日閲覧。
  2. ^ 岩手県を「巌手県」と書いている本を見かけた。県名に「巌」の字が使われていたのはいつ頃までか。
  3. ^ 国土地理院. “全国都道府県市区町村別面積調”. 2014年6月6日閲覧。
  4. ^ 国土地理院. “日本の東西南北端点の経度緯度”. 2014年6月6日閲覧。
  5. ^ 国土地理院. “岩手県 市町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)”. 2014年6月6日閲覧。
  6. ^ 国土地理院. “北海道・東北地方の東西南北端点と重心の経度緯度”. 2014年6月6日閲覧。
  7. ^ a b 総務省統計局. “我が国の人口重心 -平成27年国勢調査結果から-”. 2017年8月14日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ [1] - 岩手県[リンク切れ]
  9. ^ デーリー東北 - デーリー東北新聞社2006年(平成18年)3月5日確認[リンク切れ]
  10. ^ 岩手日報社、2006年(平成18年)2月12日確認
  11. ^ 細井計「風と人間」2ページ
  12. ^ 細井計伊藤博幸菅野文夫鈴木宏『岩手県の歴史』山川出版社〈県史 児玉幸多 監修 3〉、1999年8月。ISBN 4-634-32030-4 
  13. ^ 太政官布告第1号、仙台県ヲ宮城県盛岡県ヲ岩手県ト改称。
  14. ^ 「岩手の欠食児、年末には5万人を越すか」『東京朝日新聞』1934年(昭和9年)10月12日(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p.461 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  15. ^ 「雪崩による死者不明、全県で六十二人以上」『岩手日報』1937年(昭和12年)2月17日(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p.15 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  16. ^ 「数年来の大雪で各地に被害」『岩手日報』1937年(昭和12年)2月16日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p.14 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  17. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、399頁。ISBN 978-4-487-74410-7 
  18. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、152頁。ISBN 9784816922749 
  19. ^ a b 岩手日報 - 岩手日報社、2008年1月17日確認[リンク切れ]
  20. ^ 平成27年国勢調査”. 総務省統計局 (2016年10月26日). 2017年7月22日閲覧。
  21. ^ 総務省統計局. “我が国の人口重心 -平成22年国勢調査結果から-”. 2017年8月14日閲覧。
  22. ^ 統計表一覧 政府統計の総合窓口”. 総務省統計局 (2017年4月14日). 2017年7月23日閲覧。
  23. ^ 読売新聞2007年3月13日付朝刊 - 読売新聞社
  24. ^ 岩手の統計情報 - 岩手県庁総務部統計課、2008年5月確認
  25. ^ a b ゲンダイネット[リンク切れ] - 2008年2月28日確認など。
  26. ^ 岩手県 ILCを核とした国際学術研究都市イメージ
  27. ^ 金融資産と負債 - 金融広報中央委員会、2008年6月確認
  28. ^ a b c d e f 市町村民経済計算(概要版)”. 岩手県. 2020年4月11日閲覧。
  29. ^ 農林水産統計 - 農林水産省提供、2008年8月12日確認
  30. ^ 能登淳子 (1999)北上山地における焼畑耕作の衰退と土地利用の変化 : 戦後の3地域における比較. 林業経済研究45(1), pp. 111 - 116. doi:10.20818/jfe.45.1_111
  31. ^ 農林水産省 特用林産物統計調査 令和3年度ほか
  32. ^ 毎日新聞 2008年(平成20年)2月20日付朝刊 - 毎日新聞社
  33. ^ 岩手日報 - 岩手日報社、2008年2月8日確認
  34. ^ 盛岡タイムス - 盛岡タイムス社、2007年8月6日確認
  35. ^ 鉄道路線(都道府県データランキング)”. 鉄道路線(都道府県データランキング). 2022年7月20日閲覧。
  36. ^ (日本語) 【全国】鉄道未通過市町村、各都道府県に最低1つはある説【地理】, https://www.youtube.com/watch?v=zrhAQBDl6Uk 2022年7月20日閲覧。 
  37. ^ 岩泉線の廃止について (PDF) - 東日本旅客鉄道(2013年11月8日付)
  38. ^ 岩泉線きょう廃止届 押角トンネルなど無償譲渡 - 読売新聞(2013年11月8日付) ※インターネットアーカイブ
  39. ^ 「都道府県別進学率・就園率」島根県庁調査、2008年(平成20年)5月確認
  40. ^ 岩手日報社、2007年(平成19年)2月13日確認
  41. ^ 本堂寛作成の『日本言語学地図』を参照
  42. ^ 私立花巻東高等学校野球部に対する県民栄誉賞の授与について
  43. ^ 小林 陵侑選手に対する県民栄誉賞の授与について
  44. ^ 小林 陵侑選手に対する県民栄誉賞の授与について

参考文献

[編集]

関連文献

[編集]
  • 一戸隆次郎『岩手県郷土史』吉川半七、1897年。NDLJP:763238 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
先代
盛岡藩

磐井県の一部(陸中国

行政区の変遷
1870年 - (盛岡県→岩手県)
次代
-----