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山内進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山内 進
人物情報
生誕 (1949-10-01) 1949年10月1日(75歳)
日本の旗 日本北海道小樽市
出身校 一橋大学
学問
研究分野 法学(法制史)
研究機関 成城大学一橋大学
博士課程指導教員 勝田有恒
学位 法学博士
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山内 進(やまうち すすむ、1949年10月1日[1] - )は、日本法学者。専門は法制史一橋大学名誉教授。第16代一橋大学学長、ロンドン大学客員教授、中国人民大学客座教授、法文化学会理事長を歴任。サントリー学芸賞受賞。

経歴

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1949年、北海道小樽市生まれ。小樽市立奥沢小学校、小樽市立向陽中学校、北海道小樽潮陵高等学校を経て、一橋大学法学部に進む[2]。大学では勝田有恒の指導を受けた[3]。1972年に卒業して一橋大学大学院法学研究科修士課程に進み、1974年に修了した。1977年、一橋大学大学院法学研究科博士課程を単位取得退学[2]。大学1年時の第二外国語のロシア語のクラスでは河村たかし名古屋市長)や増田悦佐(エコノミスト)と同級生だった[4]。また山本眞樹夫(元小樽商科大学学長)や品川守(元国土交通省北海道局長)は高校の同級生[5][6]前野一夫千葉大学名誉教授)とは小学校時代からの遊び仲間[7]

1977年、成城大学法学部助手に着任。1978年より同専任講師、1981年に助教授に昇進。1983年ロンドン大学キングス・カレッジ・ロンドン客員教授[2]。1987年、学位論文『新ストア主義の国家哲学 ユストゥス・リプシウスと初期近代ヨーロッパ』を一橋大学に提出して法学博士号を取得[8]。1988年、成城大学法学部教授に昇進。1990年、一橋大学法学部・大学院法学研究科教授となる。1995年ケンブリッジ大学国際法研究センター客員研究員、1999年ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン客員教授。2004年、一橋大学大学院法学研究科長・法学部長。2006年、国立大学法人一橋大学理事(専任)副学長(社会連携・財務担当)[2]

2010年7月29日に実施された次期学長予定者選考において、一橋大学次期学長に選出された。任期は2010年12月1日から2014年11月30日までの4年間で、第16代学長をつとめた。2014年11月定年退職、同年12月一橋大学名誉教授となった[2]。その後は、2015年より中国人民大学客座教授、同大学法学院発展顧問委員会委員[2]

また、様々な団体での役職もつとめており、堀科学芸術振興財団評議員[9]。2004年21世紀COEプログラム「ヨーロッパの革新的研究拠点」拠点リーダー。2005年法文化学会理事長。2008年如水会理事[2]。2012年5月産学協働人材育成円卓会議委員[10]。2012年7月小樽ふれあい観光大使[11]。2016年9月文部科学省教科用図書検定調査審議会総括部会長代理。2017年文部科学省教科用図書検定調査審議会会長、みらかホールディングス取締役。2018年リーディング・スキル・テスト取締役[10][12]。2019年独立行政法人国立高等専門学校機構監事。2020年H.U.グループホールディングス取締役、松山大学法学部特任教授、独立行政法人大学改革支援・学位授与機構国立大学教育研究評価委員会委員長[13]

研究内容・業績

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受賞・栄典

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家族・親族

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著書

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単著

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編著

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  • 『混沌のなかの所有』(国際書院、2000年)
  • 『「正しい戦争」という思想』(勁草書房、2006年)
  • 『フロンティアのヨーロッパ』(国際書院、2008年)

共編著

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  • 勝田有恒森征一)『概説西洋法制史』(ミネルヴァ書房、2004年)
  • 加藤博新田一郎)『暴力――比較文明史的考察』(東京大学出版会、2005年)
  • 大芝亮)『衝突と和解のヨーロッパ――ユーロ・グローバリズムの挑戦』(ミネルヴァ書房、2007年)
  • (勝田有恒)『近世・近代ヨーロッパの法学者たち――グラーティアヌスからカール・シュミットまで』(ミネルヴァ書房、2008年)
  • 『国際法の実践(小松一郎大使追悼)』(信山社 2015年)

脚注

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外部リンク

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先代
森征一
法文化学会理事長
2005年 - 2011年
次代
王雲海
先代
本間生夫
文部科学省教科用図書検定調査審議会会長
2017年 - 2020年
次代
五十嵐隆